たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

フェイク、真実 & 「嫌われる勇気」

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ξ

現在の世界的なフェイクニュース騒ぎのなかで、“フェイク”健康情報として、大量の塩水を一気に飲んで腸内をキレイにするという「塩水洗浄」で体調を崩した事例が話題になっていた。

2月6日付NHK WEB版News Up(写真)では

体調を崩した人の「検索サイトで調べたところ、おなかの痛みも無く安全などの効果を説明した記事が上位に並んでいたため、みんながやっているんだと安心した」という発言内容が紹介されている。

 

(関連するニュース)

news.livedoor.com

 

ろくな根拠もない突飛な情報を収入目的に継続的に発信する層がいて

情報の真偽に関心を持たずひたすら拡散する層がいて

それにただインデックスをつけるだけの層がいて

そうしたネット情報真偽のほどをネット上だけに依存する情報ユーザーの層がいて

という事態は、圧倒的に情報ユーザーの側にいる者としては考えるに値すると思う。

 

ξ

自分がブログを始めたせいだが、いくつかのブログサービスを検索して病気関連の方々の記事はいくらか読むようになった。

そのうち僕が好きなのは、どんな記事でも、何か自分に言い聞かせているような特有な思いが伝わってきてしまう記事だ。

 

そのような記事にはウソがない。

またウソがあっても人間の心の真実には届いているような

あるいは

思わずもがいて飛び立ってしまったが一瞬真実にはタッチしていたような

感触が残る。

病名の差、男女の差は全くない。

僕のようにようやく子供を追いだした年代よりさらに上の年代でも、二十歳を過ぎたばかりの年代であっても差はない。

本当にすごいことに真実に届く感じに、積み重ねた社会経験やら世代は関係がない。

こういうわずかな作者たちをどうまとめて呼んでよいのかわからない。

多くのナマの動揺とかすかな静謐の間を行ったり来たりしている、しかし動揺と静謐は混じり合わない、混濁しない、ごまかさないといったクリアな心証を持てた時の

いい人だなぁ、という読後の呟きでくくってみるほかはない。

こんな身も蓋も無い言い方になるが

フェイク記事などともっとも遠い作者たちだ。

 

ξ

ある意味、フェイク記事はその意図がわかりやすいので、具体的な影響も想定しやすいが

僕らへの影響が何だか分かりにくい場所で、真偽にこだわっている世界もある。

木曜日のTVドラマ「嫌われる勇気」日本アドラー心理学会が「放映の中止」か「脚本の大幅な見直し」を求めた。

「嫌われる勇気」は、もっと華やかにコミカルにやれば一匹狼の外科医・大門未知子の「ドクターX」に繋がるだろう。

さらに、断続的にえんえんと続いてきた木枯らし紋次郎(1972~2009)の「あっしにゃぁかかわりのねぇことでござんす」という主人公の孤独を売りにしたドラマにも僕の中では繋がっている。

スキャンダラスなイメージをばらまいた香里奈の影響もあるのか視聴率がパッとしないそうだが、その無愛想、無表情、ぶっきら棒な感じに、ナカナカイイジャネーカと思いながら観てきた。

 

いや、ドラマの作りに文句を言っているのではない、アドラー心理学との結び付け方があんまりだ、と言っているのだというのかもしれない。

例えば無意識を重視したフロイト精神分析ユング心理学は途上、猛烈な誤用や通俗化があったとしても現在なお影響力を持つ思想、学問としての地位は揺らいでいないと僕は教えられてきた。

もし誤用や通俗化で滅びてしまうのなら、書店で山積みの自己啓発本と同じ程度ということになるだろう。

そんなカリカリしなくても心配ないのではないだろうか。

僕らは場違いに出てきてドラマの流れを削いでしまう教授(椎名桔平)の心理学解説に興味があるわけではなく、事件解決に向けた主人公蘭子の先走った動きと、訳も分からずおいてけぼりにされた周囲との速度のズレを楽しんでいるのだし。