ξ
いまや闘病記という作品は難しい。
闘病中の知恵といった実用を求めるなら、すでにおびただしい数のダイアリー型の闘病記事がネット上で代替している。
また、稀有な難病で完治困難であること、苦しい症状に耐えていること、厳しいリハビリが必要なこと、周囲の愛にいつも励まされていること、病気になって初めてわかる大切な気づきがあること、今の自分がやりたい、やるんだという高い目標に向かって凛々しく立ちあがること
といったおきまりの条件を備えていても、その予定調和的なメロドラマの臭いを読者が感じとってしまえば通用しない。
そこで一層現実離れした内容にエスカレートさせても、現実離れの度合いが読者のファンタジーの幅を超えていれば、その作品はうさん臭いものとして打ち捨てられてしまう。
ξ
「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!」というマンガは、壮絶悲惨としか言いようのない症状とリハビリの体験を、ほどよくギャグ化して闘病の暗さ、深刻さを大きく緩和して提示し、同じような病気の患者のみならず一般読者の心をとらえた。
たとえば次のようなシーンだ。
全幅の信頼を寄せている脳神経内科医サトウ先生から
(免疫グロブリン大量投与と血漿交換療法という)「治療も終了して1年経過してここまで回復しましたが・・・もうこれ以上良くなることはないでしょう」
と衝撃的な通告をされ、それを寝たきりの主人公たむらあやこがどう受け止めようか考え込んでいる。
たむらの中のLittle Tamuraの緊急会議
- どうする!? もう諦めるか!? (弱気たむら)
- ここで諦めても誰も文句言わねーぞ!? (ネガティブたむら)
- まてまて・・・諦めるのは簡単だが その先も長いぞ!? たしかに病気のせいにして 投げやりに生きるのはたやすい・・・しかし! その場合 一番損をするのは自分だ! (議長たむら)
- 気持ちが前向きになったらガンが治った人 けっこういるもんねー! (バカたむら)
- そーだ バカの部分! (議長たむら)
- どうしても諦めたくないものは何だ!? (議長たむら)
- 絵です!! (全員)
- 医者の話なんて話半分で聞いときゃいいんだよ!! (議長たむら)
(第11話 たむら会議)
こうした思い悩みが、仮想の脳内会議室で白熱した議論がされているように絵に描かれる。
そして
「私 諦めませんから! もう大丈夫ですから!」
と憔悴しきった父と母に告げるコマには、キリッとした主人公あやこの目元に少女マンガのようにキラ星が描かれている。
読む者は、事態の深刻さにも関わらず気持ちは軽く、含み笑い、爆笑しながら読みすすめることができる。
ξ
しかしこのマンガの面白さはさらに別にもあるように思う。
ギラン・バレー症候群の発病から10年以上たった現在から俯瞰しているからこそできる極端でユーモラスな絵とお笑いコント仕立てのシーンによって、闘病の凄まじい苦痛をソフトに包み込んでみせた魅力だけではないように思える。
作者はこの第11話の終りにもう1コマ用意した。
この第11話の最後のコマは、中央に病床のあやこを両脇に父と母をおいて、3人を病室の外までカメラが引くようにして遠景にし、決して弾まない沈んだ心情と会話を暗示させた。
あやこ「いろいろやりたいことがあるから・・・
手伝ってもらうかも」
母「・・・も
もちろん
もちろん!」
グスッ(鼻をすする音)
作者は先行きがまるで見えない心情をはからずも共有してしまった家族3人のしんとした時間を最後に置きたかったかのようにみえる。
病気になってやっとひとつになれたかもしれないかけがえのない家族のシーンを1コマ、静かに置きたかったかのようにみえる。
家族3人の姿が遠景にフッと消えていく最後の時間に、逆に読み手は、フラッシュバックのように万感の思いが湧きあがってくるのを感じる。
このシーンに、役立たずの厄病神だった父や献身的に看病する気丈な母の過去の全ドラマが回想的に溶けあってくるのを感じる。
こうして読み手はあやこ、父、母を、かけがえのないキャラクターとして一段と愛しく感じるよう導かれてしまう。
家族3人と読み手の、この小さな時間がこの第11章で一番美しいと思う。
ξ
2月20日(月)にNHKハートネットTVで、「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!」の作者、たむらあやこさんの特集を観た。
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/program/index.html?id=201702202000
ひょうひょうとして、おしゃべりで、静かで「ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!」の世界と違和感もなく調和していた。
愉快だったのは、実在のモデルであるたむらさんのお父さんとお母さんがしっかり出演していたことだ。
父と母とどこが同じでどこが違うかわからないが、僕らは闘病記である本作からして二人をマンガに重ねてしまうので、まるで実写版の父と母を観ているような親しみを覚えた。
僕の妻は、ハートネットTVを見てから、函館まで飛んで行って「この子」と握手したいと言っている。
庶民代表のような、いつも頭の上で髪を団子にしている母!