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『間違いだらけのリウマチ治療』(土田豊美、幻冬舎、2015)の冒頭に次のような一節があります。
医療機関で「関節リウマチ」と診断されて、多くの方は絶望的になると思います。
関節リウマチは完治不能の病気で、長年にわたって効果的な治療法がないといわれてきましたので、無理もありません。
僕は、当初この記載がピンときませんでした。
高熱や全身痛で、生まれて初めての入院となりましたが、風邪をこじらせたようなものだと思っていて、ちょっと無理がたたったかな、程度の気分でした。
おおげさに骨折したって数カ月以内には完治するし、人生、一回くらいは休養しろという天の声と軽く受け止めていました。
ξ
しかし治りが遅いのです。
右手が腫れて痛いと思ったら、次は左手が痛み出し、右手が落ち着いてきたら足首が腫れてまともに歩けなくなったりしました。
日毎に目に見えて回復するということが全くないのです。
よくなったり悪くなったり繰り返しています。
腫れたり痛んだりする関節が移動していきます。
1か月単位どころか数か月単位でみないと症状の変化がわからないのです。入院していた時期に比べればマシだなというように。
ξ
この予期しない事実は、僕の気分を暗くしました。
展望が感じられない怖ろしく地味な闘病の毎日になったのです。
昔、心理学で聞いた、否認から受容のプロセスを思い出したりしました。
もし、こんな病気にならなかったら、アレをしていたはず、コレをしていたはず、なんで僕がこんな病気に、周りには誰もいなかったのに、といった考えても仕方のないことをよく考えていました。
ξ
それでも、ようやくCRPや血沈が正常値に近づいてきました。
そのとき担当医から「今を楽しみなさい」と言われました。
こういう言われ方に僕は、エッ!というほど驚きました。
「だいぶ良くなりましたね。がんばって治しましょう。」と言われるものだと思っていたのです。
ξ
この時期になって、関節リウマチとは厄介な病気なのだと、認めるざるを得なくなりました。
さらに気分が暗くなったというのが本当です。
この病気はスパッとは治らない、ひょっとしたら一生ものかもしれない、今は良くなってきても、ある日突然、波のようにぶりかえすかもしれない、抗ガン剤に由来する毎度血液検査で副作用を確認するようなキツイ薬を使い続けていて、いつか内臓がダメになるかもしれない、そうしたらどうするのだろう、いずれ抗リウマチ薬も効かなくなるかもしれない、そうしたらどうなるのだろう、といった仕舞い込んでいた懸念が、担当医の一言で、次々と思い浮かぶようになったのです。
ξ
こういう先行きが心配でたまらない時期は残念ながらきっと訪れるもので、それに対し患者として気持ちの整理をつけていくプロセスもまた、決して避けられない道筋なのだと思っています。