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たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年初めに不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつドラッグフリー寛解を目指す。そしてゆっくりとリウマチ治療について考えていきたいと思います。

X線上のアリャー

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ξ 

中間総括を終えたあとの「再起動」としては、門構えは何も変わっていないので新装開店とはいえない。

変化したのは気持ちのほうだ。

関節リウマチに関する療養記事は合計39になった。

記事数39、サンキューのしゃれもあったが区切りだなぁと思った。

 

幸いすべての記事のトーンは一貫しており誤字脱字以外修正する必要は感じない。

病気に立ち向かう迷いを整理するために、そしてその判断を確信に変えるために、そうする人も多いだろうが、言葉にしてきた。

昔ならそれらは机の引き出しに仕舞い込まれたもの、時代の流れで虚空のサーバーに蓄積してきた。

病状が落ち着いてくると、関心は関節リウマチを超えて他の慢性疾患の療養との共通性に向かって拡大した。

 

ξ  

もうじき本格的な冬になる。

用心にこしたことはないが、今の低疾患活動性は保たれるような予感がする。

たいした根拠も無いが流れでそう思う。

 

今でも夜の湿布は欠かせないし、

X線上でアリャーというほどはっきり脊椎のズレを見てから

一段と腰回りが重くなり、クッションを腰に当ててベッドに入る毎日だ。

 

病者が四六時中病気について考え続けることは危険だ。

無意識の回復システムに対し病者の顕在意識はマイナスになることが多い。

たとえば無意識が回復に向けて起こした腫脹、発熱、疼痛をあるがままに放置することは難しい。

顕在意識は解熱鎮痛剤多用・依存という無意識からの逃走回路をいつでも発動できるからだ。

この逃走回路は西洋医学的な治療を受容した自分自身の思考パターンに存在している。

 

関節リウマチに関して原因、治療法、予後、新たな治療法の行方など調べ続けたが、それは自分の心を安定させるためであって(把握可能感、物語化)、不快な症状に朝から晩まで溺れるためではない*1

「あとは、関節リウマチのことは忘れて生きる」と思うべきなのは、無意識の持つ回復システムに過剰にタッチしないためだ。

 

ξ 

慎重に療養してきたとはいえまずまずの経過に安堵を感じている。

万物との共同無意識を思い浮かべるなら安堵感は、感謝という観念に転化できるだろう。

むろん父なる神を思い浮かべても感謝は成立する。

病気から回復したとき、安堵の自覚と身近な介護者への労いを超えて、神棚や大自然に手を合わせて感謝しようとする人間の所作は説明がやさしいとは思わない。

感謝の意を示してもしなくても病気はよくなったり悪くなったりするのが現実だからだ。

 

もっともいけないのは感謝のシステムを強要する連中がいることだ。

不可視の善意慈悲を理解しないといろいろな罵倒が可能だ。

人の言うことを素直に聞かない、だから病気になる、だから治らない、世間常識がない、信仰を持たなきゃ、このままじゃ霊が憑く・・・・なんでもありだ。

そのうち非国民、売国奴といったところか。

 

病者が淡々と耐えていくものは病気だけとはならない。

 

ソーダ、ソーダ、ソリャータイヘンダ、ショーガネー、ショーガネー

ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ハイ

のいる・こいるの世界に入りたい。