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たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年初めに不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつドラッグフリー寛解を目指す。そしてゆっくりとリウマチ治療について考えていきたいと思います。

リウマチ性炎症の終りと再生

リハビリと再生 痛み

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幼児がソファからジャンプするとき

幼い子供がようやく歩けるようになれば、いずれ居間のソファに登り始める時期が来る。

ソファに登る格好は、ハイハイの延長線上にあり斜めの床をよじ登るような姿勢になる。

観察していてもこの登る姿勢はさほど突飛には見えないし、本人が特に工夫した姿勢とも見えない。

 

ソファから降りるときは腹ばいになり登る姿勢と同じ姿勢で足から床に着くように降りる。よじ登るときと逆の動きだ。

これも登るときの姿勢に類似するので本人にとって難しい姿勢だとは思えない。

 

あるとき、子供がソファのうえに立ったまま床の一点をじっと見ている(ように見えた)ことがあった。

どうしたのだろうと思っていたら次の瞬間、床に向かって飛び降りたのだ。

おそらく初めてジャンプを試みたのだ。

 

このとき、本人には二つの感覚があったはずだ。

  1. ソファから床に飛び降りてみたい衝動
  2. ソファから床に安全に飛び降りることができそうな予感

 

まだ充分にしゃべれない時期だったはずで、これらの思考が言語によってなされていたとは思われない。

言語によらないとすれば、湧きあがってくる衝動、湧きあがってくる予感といった感覚を感覚のまま瞬時に思考していたように思える。

 

子供にとって飛び降りることができそうな予感は、この体験以降確信として記憶され、その後はほぼ100%成功するジャンプになるだろうと思える。

 

幼児がどのように発達していくものなのかは門外漢だが、こうした成長・発達の目撃は驚きと愛しさを感じずにはいられない。

ヨチヨチと歩き始めたころは前頭葉(大脳)が活発に機能しているが、足の交互の移動が無意識にできるようになると小脳に機能移行すると言う。

これは行為が意識的レベルにあるときと無意識的レベルにあるときと脳の働き方(場所やネットワーク)が異なるということだ。

言語的か非言語的かはあまり関係ないと思う。

なぜなら幼児はしゃべれなくても前頭葉が活発に機能しているらしいからだ。

 

感覚と身体がばらける<感覚>

発病してからのあるとき

コーヒーカップをテーブルに運んでいるとき

テーブルのへりにカップをぶつけ落としたことがある。

僕には、この位置関係でカップを移動すればテーブルの上面にいくだろう、絶対にへりにぶつかるはずがないだろうといったかなり正確な位置感覚が最初にあったはずだ。

しかし感覚と身体がばらけるというのを初めて経験した。

ゆるやかな速度なのに感覚と身体がばらけるという異常な「感覚」はヤバイという怖れを僕に与え、こうして今も覚えていることになる。

 

不意に手首やひじに痛みが襲ったというのであればカップを落とした説明がつくが、この無造作の動きの中に痛みの発生はなかった。

腕がこわばって動きが悪そうな感覚は最初からあったかもしれない。

その後失敗しないために前頭葉優位に視覚・触覚総動員してカップを運び続けることになるだろう。

 

幼かった子供が前頭葉→小脳といった感覚を次々に獲得して成長・発達していく一方、こちらは小脳→前頭葉という真逆のプロセスにいるかもしれないという想像は愉快ではない。

これは明らかに動作速度を下げるし、何よりも無意識の動作が減って意識的な動作ばかり増えるとなれば思考の範囲が大きく狭まるだろう。

それはただ退化ということになるのだろうか。

 

目標は発病前に戻ることではなかった

発病前の状態に戻ることを回復の目標にしたとする。

しかしそれは目標とするほど立派な過去だったのだろうか。

今になって比喩的に思い起こすと、実はを使いながら歯を食いしばって身体のバランスをとっていた時期と思える。

 

療養の身では、歯を食いしばりながら握っていたを扱うことができない。

その結果、なんと身体が傾きだした。

過酷には過酷をもってバランスする姿勢が壊れたのだ。

 

腰は安静の姿勢で痛くなる。

左足脛は歩き続けるとすぐに痛くなる。

右膝はちょっとした姿勢や動きだしに痛くなる。

なぜか右手にいつも痺れがある。

手指の痛みと腫れが実に長引いている。

・・・・・等々

 

これらは発病前に自覚がなかったのだから間違いなく発病後に関節・筋肉・神経に変性のスイッチが入ったと考えられる*1

しかし突然発症したとは思えないので発病前から潜行していたはずだ。

以前から関節の隙間は狭小だった

筋肉・関節とも小さな炎症を慢性的に繰り返していた

というような発病後の変性を予期する原因はあったはずだ。

 

発病とともに再生は始まっているもの

関節リウマチとは、多関節炎のみならず多臓器にわたる全身性疾患と定義されている。

しかしリウマチ性炎症が抑制されれば膠原病・リウマチ医には身体の不調、つまり未解決のまま残存している痛み、不具合やその新たな発生に対して手は無いと考えてよい。

患者が立ち向かう回復途上の課題の集合は、リウマチ性炎症よりずっと大きい。

 

発病前の姿への回復ではなく今ここから再生のプロセスを歩むのだと言い換えてもよい。

再生は発病とともに始まっている。

だから身体は不調でぎこちない。

発病前と異なる新たな身体のバランスを獲得するため再生するのだ。

痛みを減じ、ぎこちなさを代償していく組織や神経を再生すべく

リハビリする現在を受容している。

 

僕らは退化し続けるわけではない。

当面、ものごとを正確に遂行するために、そして痛みを減じるために低速で意識的な動作を強いられるだろう。

しかしかつての鼻歌まじりの何の苦もない車の運転のように

いずれ脳神経の内部で滑らかな機能分担が進むよう再生したいと思う。

それは熟練の技を身につけていくプロセスに似ている。