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たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年初めに不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつドラッグフリー寛解を目指す。そしてゆっくりとリウマチ治療について考えていきたいと思います。

臨床的寛解、それから

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ξ

関節リウマチの寛解基準をみると、臨床的寛解をDAS28で、構造的寛解をTSS(total Sharp score)で、機能的寛解をHAQ(health associated questionnaire)で評価するとされている。

このうちまず目標とすべき臨床的寛解にはSDAI(治療研究)、CDAI(日常臨床)を用いた簡潔な新しい基準もあるが

これらは患者目線でみると全般VASのウエイトが大きく、寛解の境界にある場合、患者自身に感触操作の可能性があるような気がして、やや厳しさが緩和されたDAS28の方がしっくりくる。

 

DAS28-CRPは、圧痛関節数、腫脹関節数、CRP値、患者全般VASを因子としたやっかいな式だが、大阪大学の次のページで簡単に計算できる。

 

DAS28-CRP計算|大阪大学 免疫アレルギー内科(大学院医学系研究科・医学部)

 

触診の方法は基準があるようで習熟した医師によらなければならない。

僕らにはどのように患部を支え、どのくらいの強さで、どのように触るのかわからない。

だから通院のたび、痛そうな、腫れていそうな関節をわざと見せて触診をせがんでいる!

 

線維筋痛症の圧痛点を触診できるような医師ならば勘所は身についているだろうが、実際には安心できない内科医が多いといわれている。

 膠原病に詳しい内科医たちは、メトトレキサートをはじめとする抗リウマチ薬や生物学的製剤の使用には、非常に前向きです。(中略)

しかし、それだけでは安心できません。実際の治療が「検査データを見て、薬を出すだけ」になっている内科医が思いのほか多いからです。(中略)

もちろん、これはある程度、診療経験をふまなければなりませんが、腫れがある場合、皮膚の上から軽く押さえると独特の厚みを感じるはずです。触ればわかることなのに、患部に触れようともしないでデータだけをにらんでいる医師が多いのは、とても残念なことです。*1

 だから引用書では、関節リウマチという内科、整形外科ほか様々な科に関連する疾患を総合的に診る医師が少なく、よって診療拠点となる病院も少なく、受診すべき医療機関の選択に患者は困惑している、といっているのだ。

 

ξ

1月の通院時、担当医と確認すると、28関節については腫脹関節数1、圧痛関節数1とすることができ、患者全般VAS=20cm、CRP=0.05としてDAS28-CRPを計算してみると、2.2となり寛解基準に入っている*2

感染症発症後、半量の6mgに落としたMTXを10mgまで戻したが、PSL(ステロイド)中止後も、ESR、CRPが正常値をキープし、MMP-3も2ケタ台が続いていたせいか1錠(2mg)ずつ減らし始めた。

途中、NSAIDsは腰痛症で頓服的に用いたが、あっちこっちの痛みはリウマチ性炎症ではないとの判断があったのだろう。

 6mg未満のMTX投与がどの程度治療的意味があるのか僕にはわからないが、上半期(5月ごろ)には休薬もみえてきた。

ゆっくりとした減量の仕方はPSLのときとそっくりだ。激変緩和措置といったところか。

 

ξ

関節リウマチでも「新生物」になぞらえて模式的にみると治療というものがわかりやすい。

僕の体の中には、関節リウマチという「新生物」が入ってきて関節症状と関節外症状を引き起こした。

「新生物」は肩から手首へ、膝から足首へ、関節から筋肉・血管・皮膚・神経へと次々全身へ「転移」していった。

「新生物」の根城は関節である。どのあたりの関節かは熱感、炎症感でわかる。

敵もさる者、各関節を移動する。

治療法としては、この「新生物」を叩けばよいのだから免疫を抑制する薬剤を投与する。

ただし「正常細胞」も一緒に損なうので内臓障害や感染症を起こしやすくなる。

「新生物」を叩くのに成功したかどうかは血液検査でわかる。この数値がよければコントロールされているといわれる。

こうすれば関節外症状も治まってくると考える。しかし現実には、身体の不調は簡単に治まらない。

 

となれば関節リウマチのほかに

別の膠原病(混合性結合組織病、シェーグレン症候群、脊椎関節炎ほか)、変形性関節症、線維筋痛症廃用症候群など別の病名・症状名を疑いあてはめ、新たな検査・治療・リハビリを始めようとする。

 

このように現代医学は実に断片的なのだ。感動するほどテリトリーが分かれている。

僕らはこの断片性を受け入れて、ひとつひとつ治していく、消していくしかないと教えられる。

病者であることから脱出しようとすれば億劫な道筋しか選べないようになっている。

「診断書」すら書けない施療では社会的に通用しないように管理されている。

 

現代医学は専門性の高度化の美名のもと、この断片性を解決できないでいる。

だから多くの患者は、あったかい温泉に1カ月でも浸かっていたら、あの霊媒師に祈祷してもらったら、あの気功師に施術してもらったらというように全身が一気に癒される総合性・一体性を心の奥底で願望せずにはいられない。

しかし代替医療とよばれるものは、強大な資本力をもちヒト遺伝子にまで到達した現代医学に太刀打ちできようもなく、予防医学や終末期医療のなかにひっそりと住んでいるかのようだ。

 

 ξ

病名がたくさんあるというのは現代医学固有なことであって、僕にとっては心身不調なひとりの僕がいるということでしかない。

慢性病患者は、現代医学の切れ味の良さと、わからなければ「様子見」といって突き放す冷酷さに、愛憎ともに抱きながら付き合ったり離れたりしている。

生きるプロセスにおいて

すがりついた医療や人間関係から

いつも断片的にしかタッチされないという不確かな感触は

ときに言葉にならない思いを運んでくる。

 

 

*1:田豊美『間違いだらけのリウマチ治療』幻冬社、2015

*2:

 

yusakum.hatenablog.com