ξ
PSL(ステロイド)を止めてからこの4月でようやく1年である。
あぁ、やっと1年だぁ、という感慨はある。
関節リウマチでは、休薬して1年以内にA%が再発するとか、6か月寛解が続いたらB%はその後も寛解が維持できるとか、そういう報告をよく目にするので
6か月や1年などの期間が何となく臨床的判断の目安になっているのがわかる。
担当医からは、再発・悪化するのであれば減薬中に起こりやすいと聞いていた。
減薬中に血液検査数値は悪化しなかったので、担当医は止めてもいけると思っていたかもしれない。
患者としてはまだMTXは切れていないし、この4月までの1年間は無理をしない(連続的に関節に負荷を与える活動はしない)よう心がけてきた。
長い間、悩んできた指の痛みは、X線では関節の隙間は狭くなっているが骨破壊はみられないとのことなので
割り切ってかなり積極的に手指、手首、足趾のリハビリ体操をやってきた。
その結果、手指の腫れは完全には引かないもののズキンズキンとする痛みは無くなった。
つまり寝る前の湿布はようやく消えた。
この一種の成功体験から整形外科的リハビリの重要性をかなり自覚するようになった。
こんな経過もあってこの4月から「認知論」とか「リハビリテーション」とか理学療法士や作業療法士が専攻するような科目を学び始めた。
ξ
入院中、PSLを初めて処方された時、医師から「今年は花粉症にかからないかもしれませんよ。」と言われた。
確かにPSLを服用していた2回のスギ花粉の時期は、抗ヒスタミン剤どころか眼薬も不要だった。
花粉症の症状がほとんど気にならなかったのである。
今春はPSLを止めて最初のスギ花粉の季節になる。
1月下旬頃、鼻がグスグスしていたが、そのうち気管や耳がおかしくなってゼイゼイしだした。
仕方がないので近所の内科に行ったが、風邪ではない、花粉症と思えるので以前の抗ヒスタミン剤を試してみよとのことだった。
その結果、気管はもちろん鼻の調子も改善したので花粉症だと思わざるを得なかった。
もしもの話だが、PSLに副作用の心配が一切なかったら急性期のみならず万能薬として広く使われ続けただろう。
肩凝りのような日常的な痛みにもきっと使われただろう、と思う。
花粉症には△△茶のような類もいろいろ試したが、僕の場合、鼻の炎症を長引かせておくと気管支炎になりやすいので、いつごろか抗ヒスタミン剤でさっさと症状を抑えた方がよいと考えるようになった。
かつて重症化させて仕事を休んだことがあるからである。
慢性疼痛の対処で、ながく痛みを放置して治りにくくするのは好ましくないのと同じである。
NSAIDsや神経障害性疼痛用の鎮痛薬も無闇に避けるべきではないと思う。
症状が改善してこそ民間療法も試せることになる。
関節リウマチにおいて有効な治療薬がない時代の産物である温泉療法を第一選択とする患者はいないと思うが
炎症が鎮静化したら補助的に湯治という選択肢を増やしても問題にならないだろう。
その効果が部分であることを承知の上で、治療の手段をたくさん持つことは心の安定に非常にプラスだ。
ξ
たとえば恋人に完全に振られたとする。
このとき僕らはワァーワァーと一晩中飲んで過ごし「アイツだけが女じゃねー」とか好き勝手にわめいて気持ちを切り替えてきたように思う。
失恋して強くなる、挫折して強くなる、という思想が、かつて時代のファンタジーとして要請されていたような、また多くの人にそう信じられていたような気がする。
この人一途という考えは、生活の維持にとっても精神的にも弾力性が無くポキリと折れそうでもろい。
この依存先の極端な少なさは暴力を生みだすという。
だから加害者になり得るし依存先の少ない要介護者は被害者になり得る。
だから地域社会に依存先がたくさんばら撒かれていて人が孤立しないようにする対策が求められるのだという。
しかしながら
政治家たちをみればすぐわかるようにエスタブリッシュメント(既存支配層)はエスタブリッシュメントのまま
富裕層は富裕層のまま
ビンボー人はビンボー人のまま(貧困の連鎖とか呼ばれる)
という強烈な世襲的固定感が
階層の流動性を前提とした失恋して強くなる、挫折して強くなるという文学的ファンタジーを締め出してしまった。
失恋したら最後、挫折したら排除といった恐怖感、孤立感が先立つようになった。
そういう体験が心の外傷にならないよう
エンターテインメントで癒したり、するりとかわしたりするのではなく
失恋も挫折も味わわないですむよう
一部の人々は
アナーキーな反社会的な人命軽視的な薬物依存的な孤立的なファンタジーに向かうようになった。
ξ
僕は僕で、これで人生オシマイとはできないのだから、身の回りの小さな依存先の分散を地味に続けてみよう。
たとえば僕の担当医は退院後3人目だ。発病後1年半で2回変えた。
いずれも紹介状を書いてもらった。
紹介する方もされた方も困惑しただろう。なにしろまだ病状が安定していなかったのだから。
何が基準なのか。
こちらは膠原病とかいう訳のわからない病気らしいので、専門医向けマニュアルを買って勉強するに決まっている。
だから転院の基準はこんな感じだ。
- 医師は質問に対し「教科書」から外れた答えをする時がある。それは耳を澄ませて聴くがその説明にどうにも納得できない時。
- この病院に通っても解決できない病状がありこれ以上質問しても無駄と思えた時。
ξ
ドクターショッピングを揶揄するのは医療側と考えてよい。
病院探しを兼ねてセカンドオピニオン感覚で退院後2か所の病院に行ったが、主治医に対するギョーカイ的配慮があるのか、微妙なところになると主治医とよく相談せよという以上に進展しなかった。
これだったらセカンドオピニオン的な病院の利用ではなくはっきり転院した方がずっとよいと思えた。
関節リウマチではないが、命にかかわる重い疾患なのに、あの先生には長く世話になっているからと病院を変えなかった人を知っている。
他人には計り知れない裏の事情があるのだろうが、表の事情だけでいえばこういう遠慮の仕方は賛成できない。
むしろ常に複数の病院の候補を持っていること*1で、今の担当医との距離を冷静に保つことができると思う。
それは僕らに医療選択の幅とともに、心の余裕や安定をもたらすことになる。