たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

時代の粗雑さに負けない その2

これは

時代の粗雑さに負けない  その1

の続きです。

 

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ξ

北朝鮮からミサイルが続けて日本上空に飛ばされるようになった。このため、学童が「防空頭巾」を被りながら避難訓練をしている姿もニュースになった。

また、衆議院臨時国会中の解散がはっきりしてきた。

庶民の多くは、解散は首相の専権などという取るに足らない形式論や、この時期の解散の意義といった取るに足らない情勢論に関係なく、「臭いものには蓋」解散であると考えているだろう。

しかも11月上旬にトランプ大統領が来日するとなれば、なりふり構わず現政権は勝とうとするだろう。

こういう、時代の粗雑化の動きはまったく愉快ではない。

 

  • 第二次大戦が終わり、ようやく1981年の国際障害者年で障害者は施設から地域へ、そのため社会が変わるのだという理念が打ち出された。
  • 戦後、日本では精神病院が大増設(人口当たりベッド数は世界一)され「社会的入院」として地域から隔離されていた患者が、1990年代から徐々に社会復帰・生活支援などの流れを受けて一部退院し始めた。
  • 先進諸国で人種・性その他のマイノリティーの権利向上運動が高まり、社会的、文化的に偏見・差別を受けてはならないという思想が次第に拡がってきた。
  • 日本において生活維持が困難な高齢者支援、心身の障害者への生活支援、長期無就労者への就労支援、貧困家庭の子供支援などのため、NPO法人などが独自でまたは行政とタイアップして活動するようになった。

 

アジア的な親族共同体による相互扶助が崩壊した日本では、先進国的な支援インフラによる共同体の再構築に頼らざるを得ない。

そしてこれらは基本的に個別になされる繊細な活動であって、平常時を前提とせざるを得ない。

戦時のように時代が粗雑化すれば、活動の維持はもちろん果実はたちまち破壊され時計が逆戻りしてしまうだろう。

 

ξ

粗雑な時代のエスタブリッシュメントの空気に追従する自称・文化人はたぶん出てくるだろうし、わざわざ非常時を扇動・鼓舞するだろう。

そしてザワザワと交感神経優位になった庶民もそんな気分になって、粗雑化万歳、××に攻め込み報復しろ、となっていくかもしれない。

こうしてマッチョのような若者が礼賛されオリ・パラ選手のように)、金髪碧眼のナチス青年隊ヒトラー・ユーゲント紙一重のおかしな美学が蔓延するようになれば、規格外の病者・障害者はあからさまに排除されていくだろう。

 

ξ

すべての手口は粗雑化していく。

経済学者・森永卓郎氏はラジオ番組で、アメリカの識者に尋ねたエピソードを語っていた。こんな趣旨である。

「もはや国家への忠誠など無い若者はみな戦争反対でしょう?」

「いいや簡単ですよ。大学の奨学金を廃止すればいいだけです。進学できない、まともな仕事がない、だから収入がないとなれば戦地に行くしかありませんから。」

と「あっけらかんとおっしゃ」ったそうだ。

 

調べてはいないが、学歴社会であるアメリカの大学の学費は相当高いらしく、多くが奨学金なしに大学に進学するのは難しいそうだ。

まったく暴力的で粗雑な手段である。

 

舌なめずりしてマスコミに登場し解説したがる自称・事情通の東アジアの地政学的リスクとやらは、暴力団の勢力分布を聞いているのと変わらず、面白くもなんともない。

モダンが世界にもたらした戦争経済や克服できない経済格差への洞察がまったく窺えないからだ。

そう問いかけたとしても

エッヘッヘッ、それは人間のサガというものでしょう

と卑屈な薄笑いを浮かべるだけのように思える。

 

モダンの世界での戦争回避は外交手段による。

しかしまた、ポストモダンではなく)脱・モダンのはるかな手がかりも、遠目に想うことがある。