たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

「耳の快」について―2万Hzを超えなくても

f:id:yusakum:20161218141525j:plain

ξ

本格的な冬の始まり。

 

いずれ

そこかしこにまだ雪が凍って、空は冷たいのに

同僚らと昼食に外に出ると

寄せる空気はたしかに春のもの

と感じられるときがかならず来ます。

人生の多くを北国で過ごしてきた者にとって 

あのときほど終わったなぁと胸がおどる時季はありません。

 

東京に来て、胸がときめくのは、大雪の降った翌日の思いっきり晴れた日です。

どこの家も真っ白な屋根がやたらにまぶしく、道路は溶けた雪が次々と車に跳ねられ、ジャーッという音が晴れがましく耳に届きます。

人の活動の証のような生き生きとした一日の始まりです。

 

積もった雪は、トラックで持ち去られたり何カ月もかけてアスファルトや土に影のように沁み込み、知らぬ間に小さくなっていくようなもので

こんな威勢よく音を立てて溶けていく華やかさは、僕の記憶にほとんどなかったのです。

 

ξ

東京の夏は暑過ぎて療養中の長時間のアウトドアは用心がいります。

そこでアウトドアの替わりに、手頃な真空管式アンプを初めて購入してみました。

増幅器としてはほとんど駆逐されてしまった真空管で、どのくらい音が変わるのかたいへん楽しみでした。

ひとつ機材を変えるとすべてに影響を与えます。

スピーカーのみならず、PCオーディオをはじめ全てのプレーヤーの音が変わってしまうので、接続方法、配置などを変え、ラインやスピーカーのケーブル変更によっても音を調整していきます。

 

ξ

コンサートホールに行って一番驚くのは音のパッとした明るさ、輝きです。

それが家庭で聞いていた音ともっとも違う点です。

家庭ではまるでナベ蓋をしてわざわざ高音を抑えて聴いていたかのようです。

 

そこで眠っていたミニスピーカーを取り出して再生してみると

バイオリンは天に抜け、打楽器は歯切れよく、金管楽器はカラッと輝き、歌手は発音がクリアに、残響は全てが耳に届くようです。

 

いろいろ試し遊んでいるうちに、ミニスピーカー4台、ツイーター1台、サブウーハー2台、合計7台で、突き抜け抑制がないと思える音楽が聴こえるようになりました。

 

感じで言えばCDの限界である2万Hzまでの高音は絞ること無く、中低音は抑え、100Hz以下はサブウーハーを軽くかましておくといった具合でしょうか。

クラリネットの、あの太く暗い音色は期待できませんが、風が過ぎていく「耳の快」はたとえようもありません。

 

ξ

人間の聴力は2万Hzくらいまでだそうですが

土俗的な祭りや儀式の打楽器や笛のように、大量に2万Hzを超える成分を含む音を聴いていると

意識変性(脳波にα波やθ波が増強されたトランス状態)が起こり心身に有益な効果が期待できるという研究(ハイパーソニック・イフェクト)がされています。

 

2万Hz以上の音は、皮膚の触角といった他の感覚器官も動員して感知しているような気がします。(例えば激しくガラスを割るような2万Hz以上の周波数成分を含む音は皮膚全体で感じている、体で聞いているような気がするからです。)

 2万Hz以下(CDレベル)だと、こういう意識変性は起こらないといいます*1

 

これは家庭でいくら音楽CDを聴いていてもだめ、生演奏でなければだめというような話にも聞こえます。

聴きたい音楽のストックが大部分CDレベルであれば心身には良い影響が期待できないのでしょうか。

そんなことはないでしょう。

 

音楽が心的経験である以上、脳に与える影響は様々で、あの演奏家の、あの時の演奏の録音を聴き分けてを感じたりするのですから。

例えば、ありふれた曲の演奏ですら、ジョルジュ・プレートルの指揮する小さな動画*2以外で聴く気になれないということはあり得るのですから。

ただ意識変性はごく弱いレベルでしか起こらないのかもしれません。

 

ξ

いずれにしろ今は、このように高音側にシフトした音を感じます。

脳で直接聴いているような感じ、脳をマッサージしているような感じのです。

それがなぜ僕にとってなのか理屈がワカラネェーと思いながら、

時節柄、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのDVDを聴いています。