たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

「大人の発達障害」への走り書き

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ξ

少し前、発達心理学関連の本を読んでいたら、アスペルガー症候群のセラピストの事例が出ていた。

リハビリ対象のヒト(患者)の体験をイメージして追体験することがほとんど不可能だそうである。

しかし特定の疾患に対して有能なセラピストとされていた。

彼は幼い時から他者の体験をイメージできない(=コミュニケーションできない)欠落を、言葉を過度に活用して補ってきた、と考えられているそうだ。

患者の体験そのままに言葉が記述されていくのではなく、覚えこんでいた言葉に次々置き換えられていくようなのだ。

おびただしい言葉にも一般的ではない本人の特異な使い方があるようだ。

著者は病態と呼ばず、「個性」と呼びたいと記していた。

僕は、この仕事を可能にしている、長い時間をかけた代償というヒトの仕組みに感銘を受けていた。

スゴイじゃないかと思っていた。

 

ξ

井上さん(仮名・40代)もその一人でした。

学生時代は成績優秀。

大手IT企業の一流の営業マンとしてがむしゃらに働き、昼は外回り、夜は終電まで仕事に没頭する生活を10年以上続けていました。

妻と子どもがいて、豊かな人生を送ってきたはずでした。

転機は3年前。いわゆる中間管理職になり、異変が起きました。

職場で失敗が続くようになったのです。

特にうまくいかなかったのが、ほかの部署との調整が必要な仕事でした。

NHK NEWS WEB  2017.7.15  18時05分)  

 

ドキッとするほど他人ごととは思えない記事だ。

大人の発達障害などというものへの認識がもともとなかった。

これは体質とか性格とか個性とかいうものではないのか。

ずっとそう思ってきた。

 

変人と思われる人物は職場にいくらでもいる。

上役や経営者に、エゲツネェー、無神経、冷酷、パワハラ、性格異常といいたいような人物はいくらでもいる。

しかし企業社会と不調和が起きなければ、経営者の資質あり、やり手という評価になる。

もし多様な体質・性格・個性の持ち主を、企業社会からみて適・不適の基準で得点評価し、ヒストグラムのように図示すれば、どこかで社会的適者と社会的不適応者に二分する線を引くことができるだろう。

発達障害とはその程度の恣意的なものではないのか。社会的適者に比べどこが異常なのか。

 

ξ

どのような発達障害が問題になるのだろう。

井上さんは、「悪気は全くない。一方で、自分にすごくイライラする。恥ずかしい、失敗をした、大きな挫折ではないか、という思いがどんどん膨らんでいって、耐えきれなくなった」と話しています。

・・・・・

かつては「少し個性が強い」と言われていたような人が、仕事が急に複雑になり企業に余裕が無くなるなかで、ストレスからうつ状態に陥る人が増え、“大人の発達障害”が表面化してきたと分析しています。(同上)

 

 つまり、うつ病のような病気を発症した側だけが発達障害=社会的不適応者として問題になるのだ。

 

またまたサイコ・ビジネスを興隆させ、社会フレームからはじき出すレッテルを増産しているだけではないのか。

僕が、いつも精神医療を含むサイコ・ビジネスに不満なのは、患者が社会に適合するよう「修正」するプログラムしかないからである。

そもそも単一・一様な社会のフレームがおかしい、雇用制度や就業規則を変えるところから始めよ、と主張している精神神経科医はいるのだろうか。

個人(患者)の立場から、社会フレームの不都合を糾弾しなければ、その医療はペテンではないのか。

少なくとも引用記事からはうかがえない。

 

ξ

どこまでが“個性”で、どこからが“大人の発達障害”なのか。

その判断は本人の自己理解と企業側の配慮によって、変わってきます。(同上)

 

大人の発達障害とは、このように曖昧で流動的である。

発達障害という「診断」に何か意味があるとすれば

どのような方法であれ当事者が解決しようと思っているときである。

自分あるいは外部を変えなければ解決しないと覚悟ができるからである。

 

心身の不調にフラフラしながら働いているときの自分自身を振り返ると、その選択肢は

  1. もう仕事はしない
  2. 転職する
  3. 配置転換する
  4. 取るだけ取ってから辞めてやろうと考える

となる。

1~3は、即となれば実際には難しいので4を覚悟し「細く長く」を選択するようになる。

例えば、定時にさっさと事務所を出たら、頻繁な呼び出しに応じないよう携帯の電源を切っておく。

その結果必ず生じる上役とのギクシャクに、過剰反応せず無理をせず辛抱していれば(めでたく)配置転換に移行することがある。

 

当時はもちろん今も眉間にしわを寄せて自分が背負うべき発達障害かも、などと自分の心を覗いてみることはしない。