たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

UNDER CONSTRUCTION(工事中)という動的な心

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ξ 

かつて、大雪山系の紅葉のニュースが流れ旭岳ロープウェーが観光客で混むようになったと聞けば、いくら季節の変化に疎いサラリーマンでも夏の終わりを感じた。

雪の積もる地域では、雪のない時期と積もる時期、夏と冬の二つの季節をめぐって、仕事も生活もメリハリが出る。

家族の衣替えは半端じゃないし、タイヤ交換をする、漬物を仕込む、買った鮭をさばいて粗塩を突っ込むというようなとき

去年もそうだった、おととしもそうだった、ずっとそうだったと、高揚も寂寥もある暮らしの循環を感じてきた。 

雪のない地域では、こういうメリハリは希薄だ。

 

ξ

今年の「夏休み」は久々に箱根に行った。

2年前(結構無理して)箱根湯元に行ったのは発病後5か月経ってからである。

当時の足の写真を見ると(担当医に見せようと思っていたはず)、右膝はパンパン、両方の足首のくびれなし、いわゆる象の足である。

その頃は、プレドニゾロン10~15mg、メトトレキサート10~12mgと、それぞれたっぷり服用していた。

 

なんでそんな時期に、と思い出してみると

病名も確定し、旅先でのドンと高熱を発するような容態急変にも覚悟ができたのだろう。

また、病名不明のまま1か月近く入院してびっくりさせた妻への慰労もあっただろう。

また、病気になった焦りでテンションが高く、早くフツーの生活をしようとジタバタしていたかもしれない。

 

その翌日は、いつも通り過ぎるだけの彫刻の森美術館に初めて行った。ここまでにしてUターンして帰ろうと思っていた。

杖では歩きにくいので、ほとんど広っぱの椅子に座って、ただただ、山の緑や空の青を見ていた。

 

その後、発病1年4か月経った頃、自由にならない身体に、心はひたすら過剰といったアンバランスを解消できないかと、ブログを思いついた。

もちろんそれは、急性期を脱して、言葉にすることができそうな心の落ち着きも同時に感じていたからに違いない。

 

ξ 

現在、ブログ更新時は

日本ブログ村のようなランキングの場は療養中の性に合わず不参加で

フォローするだけのツイッターとのリンクも無し

各種設定も何かの記事を頼ってよく意味も分からず行ったものがデフォルトで

その後、読んでくださる方の利便をはかるとかの工夫は皆無

とりあえず開始1年、こんな冷や汗もので続けてきた。

 

はてなブログ内は「お知らせ」も来るのでわかりやすいが、他からのアクセスの状況はある程度マスにならないと全くわからない。

最近、gooブログからアクセスが比較的多いと気付いたのは、はてなブログ、グーグル検索、ヤフー検索などと並んでアクセス元にgooブログがあったからだ。

それは、プーカプカさんという方の次の記事が源泉になっている。

 

気持ちが固まると、今まで目にとまらなかった情報も入ってくるようになり…

トラウマ型の痛みに決着をつける

「記憶」に上書きしていく意味

特に2つ目に書かれている、むやみに慢性疼痛解消にのめり込まない、という心理的到達は、1年間やれる事を全てやった自分の、今の思いにしっくりきてます。

 

blog.goo.ne.jp

 

プーカプカさんは、2015年に真昼の決闘ならぬ「真夜中の血糖」というブログを開設された、食事療法を中心とした強靭な血糖コントローラーのようだ。

 

僕は病気に対し揺れて溢れる気持ちを、整理して語ってみれば心のバランスが取れるかもしれないと記事を書いてきたので、膠原病患者しかわからないような治療基準や薬剤に何の注釈もなく言及してきた。

丁寧な遠回りはできなかったのである。

だから記事はごく狭い範囲に限定されており、他の疾患の方や健常者の方の目に止まることがあれば「予期から大きく逸脱した出来事」(笑)になってしまう。

もちろん、その思いがけなさは「トラウマ」ではなく嬉しい「出来事」になっています。

 

ξ 

 under construction(工事中)というカタチがしきりに浮かんでくる。

indoor(心)もoutdoor(身体)も、僕はきっとに見える。

しかしすでにではなくであると思える。

under constructionだからである。

いまなお湿布や消炎鎮痛剤からフリーでないとしても

今年は、初めて「夏休み」と言ってみたい身体の回復を味わっている。

3回目の秋

身体のみならず心の可動域も拡げ、これも初めて、遠い「里帰り」をしてみたい。