たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年初めに不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治!を目指しています。

制御しがたい心、デパスをやめた【断章1/4】

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ξ

いま僕は、夕刻

ヨドバシAkiba横のアーケード

JR秋葉原駅と地下鉄日比谷線入口階段を結ぶ

VIE DE FRANCE店外の椅子にいる。

  

旋回させた眼の先の

単調の靴

萎凋の鞄

何より

みすぼらしく曲がった手

うっとうしい脳。

 

原色のディスプレイと

滑らかなフォント文字群。

自在なロングタップでも

無理だよ

この違和、 こそ史上最大の違和だ。

 

 

制御しがたい心

 

発病し、従来の延長戦になるきつい仕事はお断りし環境が激変してしまうと

自分の制御しがたい心の動きに初めて気付くようになった。

 

日常が心なんか構っていられないほど忙しく、余暇は疲れ果て倒れるように寝込むという生活は

限界的な訓練を繰り返しているアスリートのようだが、精神衛生上はよい。

 

慢性疼痛の脳イメージング研究では、課題に取り組んでいない、いわばな時に活動するといわれる脳内のネットワーク、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)が注目されている。

DMNとは、内側前頭前野、後部帯状回/楔前部、側頭葉の下部や外側部などからなり、自己参照的(引用者注:意識が自分自身を意識している状態、と考えられる)な過程(中略)などと関連して安静時に活動し、(反対に)目的指向的行動によって活動を落とす脳内ネットワークである。

慢性疼痛についての脳イメージング研究が始まったばかりのころから、DMNに関連した脳領域の異常が指摘されてきた。

例えば、DMN内部の結合が強いほど、自己参照的な状態から抜け出すのが難しく、体動後の余韻痛が大きいということが報告されている。

と記憶の痛みは、DMNを媒介に関連付けられるかもしれない。*1

 

ここでは目的指向的行動のないなときに、活動してしまう脳内ネットワークのことが語られている。

この「記憶の痛み」はくよくよ思い悩むことにも繋がっているはずだから

自分に脳領域の異常がいくらかあるとしても

スパッと気分を変えたり、外に出てみたり、仕事・家事を強いられたり、ということが苦悩の改善に役立つと思える。

この、抱える苦悩と無関係に見える社会的経験は、目的指向的行動となっていたずらに拡張してしまう心の動きを緩和するはずだと信じられる。

 

心は過去として語れるよう

まず、顔を上げ背伸びして深呼吸して外に足を踏み出してみるのが先だ、そのほうが気持ちがよいはずだから。

 

 

デパスをやめた

 

デパスをやめて、何か月になるだろう。

禁煙するようにやめた。

1年半くらい飲んだ。

もともと日常の抗不安のための処方ではなく、夜中にパニック的に起こる上半身の絞り上げられるような酷い痛みに対しての処方だった。

 

1日投与量上限3mgのはずだが、僕は1mg(0.5mg×2)だった。

しかし世間が、デパスエチゾラム)を第三種向精神薬に指定したり承認用量の範囲内でも薬物依存が起こるという注意喚起を、続けて出した時期でもあり、担当医は断薬をすすめていた。*2

 

関節リウマチの持続的な炎症痛とは全く異なる、NSAIDsも湿布も無関係な

夜中に目覚めて、あっ、来る!とわかるような痛みで

(いま思うとカナシバリに似ている)

そのズキンズキンと不随意に押し寄せてくる酷い痛みに

妙な記憶の、あのとき死ぬべきだった、いまここでも首を吊ることができる、それしか無い、というようなパニック的な強迫が伴っている。

通り過ぎた昼間に思い起こすと、そんなに思い詰めずやり過ごせた出来事なのでは、とギャップを感じることもままあり

発作時には、どうみてもこれは病的だ、おかしい、これは自分ではない、大丈夫、大丈夫、ともうひとりの自分が自分に言い聞かせているのも自覚していた。

そして痛みで眠ることができず朝まで起きていたり

いくらかウトウトできる明け方、を繰り返していた。

 

ステロイドをやめデパスも1/2、1/4に削っていくにしたがい発作はなくなり、寝床に就いて、ふっと痛みや出来事を思い出すことはあるが、いずれも遠い記憶のまま留まるようになった。

 

ある夜、やめてみるかと思い立った。

そしてパジャマのポケットにデパスの1/4を仕舞って眠るようにした。

2~3日は交感神経全開というように眼が冴えたが、発病当初から、ステロイドのせいで、NHKラジオ深夜便」を聴いてばかりだったので、慣れてる、構わないと思った。

 

そして無縁のまま現在に至っている。

無理やりデパスをやめるのはよくないと思う。

ゆっくり減薬し、無くても大丈夫だったという経験を積み重ねたあと、だと思う。

 

*1:『ひとりで苦しまないための「痛みの哲学」』あとがき、熊谷晋一郎ほか、青土社、2013

*2:

 

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