たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

関節リウマチの悪化への道

ξ

52歳の夫を亡くした女性

女性は、事実と異なる説明により高額な代金を払わされたとして、クリニックを提訴。対するクリニックは、医師の説明が「不適切なものであった」と認めました。当時の治療をどう考えているのか、クリニックに直接問いました。

NHK「患者に対して、効果が十分に証明されていない治療だと伝えたのか?」

電話:クリニック理事長
“初めから言っていますからね。我々は最新医療だから、エビデンス(科学的根拠)はないですよと。『必ず治ります』なんていうことは、ひと言も言わないです。”

ならば、なぜ認めたのか尋ねると…。

電話:クリニック理事長
“(裁判が)長引くほど、彼らは材料にして我々の悪宣伝を流しまくるので。戦う必要はないんで、別にそういう人にはお金を払えばいいことなんで。”

 

“最先端”がん治療トラブル - NHK クローズアップ現代+

 

人間は、自分に体化した品性に基づいてしか人を判断できない。

この記事は、おのれに、すべては「カネ目当て」と思う品性しかなければ、他人の行動も「カネ目当て」、カネがすべてにしか見えないという、人のココロの仕組みを示す典型だ。

この記事に登場するクリニックの、人のココロの豊かな幅を舐めきった、醜悪な品性は記憶に残るだろう。

夫を52歳で失ったあとの妻の喪失や空白の感覚に、言葉を失う、言葉に詰まる品性のようなものは、この発言には微塵も感じられない。

自分は他人の悪意によって貶められるかもしれないというゲスな猜疑心と保身だけが前面に浮き上がっている。

 

この事例も、医師は「偉い人」だと思う感覚は根本的に間違いだ、ということを示している。

医師は受験勉強並みの医療知識と、みようみまねの臨床経験で、処方箋を書く権限を行使しているに過ぎない。

もちろん、日々研鑽に励み、患者を思いやる想像力という才能を持った偉い医師だってちゃんといるだろうというファンタジーが浮かばないわけでもない。

しかし、それはブルーカラーだってホワイトカラーだって、たいしたもんだ、偉いというような知性、品性に秀でた人はいくらでもいるよ、というのと変わらない。

医師が特にそうだとする理由がない。

 

医師はその専門知を切り売りする職業人である。

専門知(その医師にあるとすれば)は、本来、患者が関知できない、患者が関与できないところにあるに違いない。

しかし主張された専門知の有効性は、その医師とどんなに情報格差があったとしても、どうしても患者が見極めなくてはならない。

 

ξ

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標準治療って何? ~標準治療はどうやって決まるのか?標準治療の誤解~(上) : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

 

「標準治療を受けるのはイヤです。最先端の治療はないんでしょうか? お金はいくらかかってもいいんです。インターネットに出ていた、最先端の免疫療法は自費診療らしいのですが、効果があるように書いてありました。早期にやったほうがよいとも書いてありました。この最先端の免疫療法をやってみたいのですが、いかがでしょうか?」

このような質問をほぼ毎日のように患者さんからお受けします。

 

標準治療って何? ~標準治療はどうやって決まるのか?標準治療の誤解~(下) : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

 

こういう患者を、バッカじゃない!と切り捨てることもできるだろう。

そもそもこういう選択が可能なのは、ろくなエビデンスがなくとも医師は自由診療が可能だからだ。

もしも『目新しい医療の喧伝こそカネのなる木』という程度の想像力しかない医師に当たってしまえば、患者の多くは袋小路に追い込まれていく。

 

ξ

ただ標準治療から見放された場合に、なんらかの他の治療法を求めて動くのは人間として全く自然なことである。

最左端に宗教的祈禱、最右端に素粒子の巨大加速器を思わせるような治療法があるだろう。

 

しかし気になるのは標準治療から少しも見放されていないのに標準治療を忌避する人々がいることである。

関節リウマチの場合に限定すれば、関節破壊がそれほど進んでいないのに標準治療を避ける人がいる。

 

それはきっといろいろな体験に基づいている。

別の病気で標準治療をおこなったところ、治りが悪く、ある評判を聞いて別のクリニックで特殊な治療を受けたら見事に治癒した。

別の病気で医療機関に掛かったところ、医師は傲慢で、患者が疑問を口にしたら怒鳴り返した。

全身の痛みや動きの悪さを訴えても、パソコン画面から目を離さない。薬と湿布以外に相変わらず治療がない。そして遅々として改善しなかった。

標準治療ではほとんど言われないことを指摘されることもある。それが奇妙に新鮮に聞こえた。

 

通り一遍にみえる標準治療しか施そうとしない医師への恨み骨髄までといった感じである。

そして世の中には標準治療以外にまだ陽の目を見ていない有効な治療法がきっとあるはずだ、と標準治療の外へ飛び出す。

 

しかし医師の態度が悪いという程度で標準治療が嫌になるというのなら、それは単に患者の虚弱さのせいである。

「客寄せ」する医療の対応が良い(当たり前だ!)、その医師からホッとする感じが得られたとなどいうのは、とうてい選択の理由にならない。

 

ξ

ワタシは関節リウマチの標準治療外へ誘惑されていく人をみて、一概にはその態度を否定できないと思っている。

その治療法への主観的なこだわりが、その人の治療への意欲そのものとなっている可能性があるだろう。

もっといえば、標準治療外への主観的なこだわりが、その人の生きる意味そのものになっている可能性もあるだろう。

どうかお大事に、というほかないように思える。

  

ξ

もう一つのケースは、身近で経験した、本格的な投薬治療=標準治療にいつまでも取り組まない人の場合である。

昔から足腰が痛くなれば整形外科に通っていた。

膝が悪くなって、整形外科からは要手術かなぁと言われている。

整形外科では、杖をついた老爺・老婆をたくさん見かけるので、自分も年のせいだと思っているかもしれない。

しかし炎症反応やMMP-3の数値は明らかに変形性関節症以外、関節リウマチの可能性を示している。

周辺から言われてもMTXや生物学的製剤投与が可能なクリニックに行こうとしない。

まるでやっかいな慢性病・関節リウマチとは認めたくないかのようだ。

これは関節リウマチの標準治療まで届かないケースだ。

 

ξ

関節リウマチを悪化させるケースは常識的に

  1. 関節リウマチの標準治療外を深刻な理由もなく求めるケース
  2. 関節リウマチの治療を嫌がるケース

にあると思える。

「求める」も「嫌がる」も本人の意思である。

 

しかしワタシが嫌うのは、1.の方にいる、ろくなエビデンスもない治療法、例えばフードファディズムというほかない治療法を、個人的な体験として語るにとどめるのではなく、屈折した承認欲求に急きたてられるように他人に喧伝する連中である。

このセンスは、最近多くなった地震の際のSNSによるデマ情報の発信・拡散と何も変わらない。

 

ワタシ自身の常識から考えて

治療を委ねてみたいリウマチ医は次のような医師である。

 

  1. 関節エコー検査や関節X線検査の画像が読め、次の判断ができる。
  2. 鑑別すべき疾患や分類基準(関節病変、血清学的因子、急性期反応物質等からなる)を熟知している。
  3. 関節症状の診察(視診、触診)ができる。つまり視診、触診で滑膜炎が診断できる。圧痛関節、腫脹関節を見極めカルテの「人形図」に所見記載ができる。
  4. 関節リウマチの診療ガイドライン(標準治療)の動きに強い関心を持っている。

 

ワタシが診察室で会話しているリウマチ医はこんな感じだった。

常識的で突飛なところはどこにもないと思う。

 

患者をケムに巻くどんな突飛なご託宣を垂れようと、せめてこの4つくらい患者の前で示せないリウマチ医とは付き合っていく気にはなれないとワタシは思っている。