脊椎関節症を除外する
今年1年を振り返ると、関東は、ひたすら暑かったように思い出す。
その暑い盛りに再燃(再発)した。
安静時(就寝時)に背中が痛いと言えば、様々な抗体検査に顕著な異常が無ければリウマチ医は脊椎関節症(関節リウマチ同様、炎症性サイトカインTNFαが関与している)を疑ってみる。
比較的若い年代に発症しやすいので可能性は低そうに思うが医師はそうは断言しない。
2つの画像検査をした。
まず脊椎のX線検査で、悪性腫瘍のような疾患を除外できるかどうか。
脊椎関節炎の診断基準の1つは*1
MRIのような画像で仙腸関節炎が認められ、かつ次のような脊椎関節炎の徴候が1つ以上認められることである。
ワタシには夜間の背部痛とCRP高値は明らかなので、MRIで仙腸関節炎が認められれば脊椎関節炎の可能性が濃厚になったところだったが結果は特に認められなかった。
つまり脊椎関節炎はひとまず除外された。
そしてCRP高値、ステロイド(PSL)の継続投与のまま、年を越すことになった。
好奇心の可動域を拡げていく
今年、はっきりと検索流入型の病気ブログであることを自覚したが
あ、そういうことなのか、と思えた時しか書き出さないので
3年近く経っても、おそろしく記事数の少ないブログが、10万超/月のアクセスに長期に持ちこたえられるはずがない。
11月からはスルスルと減少してきたので、その安心に笑ってみたくなるが
短文投稿サイトとは異なり、ブログは記事をアップした時、やはり書き手(作者)と記事(作品)という2つを発信していることになると思う。
そうでなければとにかくまとめ上げてアップしただけで解放感があったり、もう書かなくていいや、もうブログなんか見なくていいやという思いは訪れないだろう。
ξ
今年は、いろいろなものを見聞きしようと週末でもヨタヨタ出かけたり、病気前には読んだことも無いような書籍も読みふけった。
人が身体を持つという生物的自然から、経験を積むことに圧倒的な制約があることを乗り越えて過去の叡智を経験するには
まずは文字=書籍に依存するほかないという在り方は、古代に文字が発明されて以降、現在まで一貫して変わっていないだろう。
希望も絶望も、現在のリアルの未実現に対する違和(≒不幸)なのだから
本当は、希望もない、絶望もないという状態が理想であることがわかる。
ワタシたちは
あまりに希望やら絶望を語る「世界」に慣れているので
つい忘れそうになっているが
希望に揺れることも無く、絶望に揺れることも無く
暮らしている生活をありありと想像できるはずだ。*2
来年に向けてたいして希望も絶望も持つことはないが
好奇心の可動域は拡げていくぞ、という思いはある。
人はアンドロイドのように脳神経を麻痺させれば希望あふれた幸福感が得られるはずだという「世界」を徹底的に避けていきたい。
薬物やおかしな心的訓練によるトランス状態によって絶望を回避する「世界」を徹底的に否定して、明晰な理解による穏やかさを獲得していきたい。
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いつも心の重石を減らそうとしていたのに、読んであまり気が晴れることはなかったかもしれないこの小ブログを気にしてくださった皆さんに感謝いたします。