たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

東京なんかに負けるなよー! その3 《壁を立てる生き方》

これは

東京なんかに負けるなよー! その1

東京なんかに負けるなよー! その2

の続きです。

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(荷物処分の途中)

 

 ξ

 ワタシの価値判断の基準として、都市部と比較すれば、その殺風景な窮乏ぶりばかりが目立った農村に育ったことが影響していることは間違いないし、最近、その経験にホッとしているところもある。

 

春に種を蒔いたら秋には収穫する。

子どもはすくすくと成長し、大人はゆっくり年老いていく。

 

反生物的自然、反自然時間の超速な暮らしは現在の東京で象徴させることができる。

いまの都市は超速こそ生命線だ。

  

 ξ

もう初夏というこの時季になんだが

古いフォークソングなごり雪(イルカ版1975年)

汽車を待つ時間

汽車が動き出した時間

汽車が去った時間

の心の揺れが、汽車のテンポに完全にマッチした傑作だったと思う。

 

なごり雪」では、東京は、決して敵対的に歌われていない。

東京の大ターミナル駅の汽車は現代都市の象徴

心の揺れは生物的自然の象徴

心が自然に都市のテンポに調和しているという意味で

人と都市との情緒的な不調和を感じさせない幸福な時代だったと思える。

 

ξ

人生が、どうなってもエエジャナイカ、エエジャナイカと虚無的になることも無く

サクッと考えてみよう、サクッと軽快に生きてみようなどと、無駄にポップスキルに励んで、よく言われるように息切れ」し、かえって自身の貧しさだけがにじみ出たうつろな薄笑いを浮かべることも無く生きようとしたら

現在、壁を立てる生き方が可能であるように思える。

 

仕事場とした都市の、その超速な時間は心身に明らかに圧迫的な不調和をもたらしている。

この生活は、情報・物流機器の処理スピードに人間を合わせるように変貌し続け、 ベースとなる自然時間を吹き飛ばしてきた。*1

 

街角で、幼い子供にガミガミ怒っている母親をみかける。

幼児言葉を使うわけでもなく早口でまくしたてる言葉に

子どもは何を怒られているかもわからずキョトンとしている。

 

錯乱しているのは、決して倫理的に批判して言うのではないが、母親のほうだ。

身近な世界は超速だ。

しかし子どもは成長の自然時間で呼吸しているだけだ。

母親自身が、自身の生物的自然と周辺世界の超速化のはざまで

身の処し方がわからず錯乱しているのだ。

子どもは、自然時間の中で心を費やしているにすぎない。

錯乱した母親にはそれは遅滞とか停滞にしかみえない。

 

これはやっぱり歴史的経験だ。

ワタシはこの社会が人の自然時間を損ねることによって何が損なわれるのだろうと思う。

そして新たな「人種」として生き残った子どもたちはどのような姿になるのだろうと思う。

この生物的自然、自然時間と乖離し続ける社会の速度にさらされ続けたら、人はどのような新しい「人種」アンドロイドに生まれ変わるのかと思う。

 

ξ

シン・ゴジラ(2016)のように

臨時編成の災害対策チームに集った登場人物たちの、専門性に秀でた、しかし無表情で無感動で空気を読まない、「抑揚のない早口の官僚言葉*2」をしゃべる、子どもたちの理想!の姿を

エンターテインメントは既に予告している。

 

TVドラマ「ラジエーションハウス~放射線科の診断レポート~」(2019)

コミュ障としか言いようのない、ずば抜けて優秀な放射線技師窪田正孝

X線、エコー、CT、MRI、心電図など病者には馴染み深い検査画像を読み解き患者を救っていく、という筋立てなのだが

正しく診断するために必要なら、病院のくだらないルール・慣行(組織の論理)などサッと飛び超えられるよう

その空気などまるで読めないコミュ障でいくんだ

という新しい理想像が主張されているようにみえる。*3

こうした態勢を好む姿、自身の強い専門性を盾に、壁を立てる生き方は、ワタシは自分の子供を見てもわかる気がする。

 

 

*1: 

yusakum.hatenablog.com

*2:

加藤典洋氏、文芸評論家、2017

*3:

近年は、TVドラマにもコミュ障テーマの進出が目立つそうです(樫村愛子氏、社会学/精神分析)。『嫌われる勇気』、『逃げ恥』、『東京タラレバ娘』(いずれも2016)、『人は見た目が100パーセント』(2017)、『きみが心に棲みついた』(2018)など。