たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

「痛いの、痛いの、飛んでケー」論 ② ~ 瞑想法や気功法について

これは

「痛いの、痛いの、飛んでケー」論 ① ~ 原因を除外していくことについて

の続きです。

 

ξ

うっかり、ころんでしまった幼児に

「痛いの、痛いの、飛んでケー」

と言いながら母親が幼児を撫でたり抱きしめたりするのは

脳神経的に意味がありドーパミンセロトニンのような神経伝達物質が増加するらしい)、痛みが軽減する根拠はちゃんとあるようだ。

 

身近な他者が男であれ女であれ、そのような癒しの質を「母性」といってみると

無条件に信頼する身近な他者から、撫でられたり抱きしめられたりして痛みが軽減することが事実だとしても

「母性」を持つ身体は残念ながら永遠に不滅ではない。

ワタシが切望しても、「母性」を持つ他者が身体を持つ限り、いずれ身辺から消えたり変貌してしまったりする。

 

その喪失は、いくら年を経ても身体的苦痛と変わらない不安や苦悩を生み出すことがある。

喪失の代償として心は、不滅の自己超越的な世界を想像(創造)することができる。

それは自己や他者の有限な身体の外に、「母性」(もちろん「父性」も)を見出す心的な世界である。

この「母性」はワタシが切望する(信ずる)限り不変である。

 

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ξ

時代の雰囲気もあって、ワタシは瞑想法や気功法に励んだ時期があった。

瞑想法は、実用的なスキルとして取り出せば今はマインドフルネスと呼ぶと思うが、当時は単にメディテーションといった。

気功法はいまでも気功法かもしれない。

 

夜中に痛くて目覚めたとき

マントラを思い続けたりマントラは唱えるものではないと強く教えられている)

身体が変容していく、或るイメージを思い続けたりすることがある。

ワタシの未熟、なのかどうかあまり効果はない。

 

自己「手当て」のような行為に変えてみる。

右手のひらに空間の気を集め、手のひらから患部に向かって気を流す。

このとき痛みで硬直している患部に、ほどけるような感触が出てくる。

反対に患部から(邪)気を取り出し空間に散らすようなことも行う。

 

この「手当て」はワタシには瞑想法よりはずっと効果がある。

痛みは緩和し、起き出すことなく再びウトウトできるときもある。

 

ξ

宇宙空間に無限無謬の気が満ちていると構想するのは

ワタシの場合で言えば、不変の「母性」や、ひたすら強い「父性」の希求が根源になっているように思える。

 

このときワタシは

遠い記憶を手繰っているのかもしれないし

経験できなかった過去を心的に生み出しているのかしれない。

  

ワタシの「手当て」がワタシにとって有効なのは、おそらく

この世に、ワタシのなにもかもを無条件に包み込んでしまう「母性」や、ひたすら強い「父性」が存在しうる可能性を疑わないからである。

実際にそのような環境で成長したかどうかは関係がない。

 

この世で無限無謬の「母性」や「父性」の可能性が肯定できれば

宇宙全体に満ちた無限無謬の気を想像(創造)することができる。

誰でもリアルな世界で想像できないものは、自己超越的な世界としても絶対に想像できない。

 

こうして

「手当て」を通じて永遠の「母性」(や「父性」)がやってきて

「痛いの、痛いの、飛んでケー」

という驚くほど素直な信頼の世界で、痛みが軽減していく様子に浸ることができる。

 

ξ

瞑想や気功法の痛みへの有効性を、ワタシは体験的にも否定できないし、たいていは安全である。

だから線維筋痛症友の会(JFSA)HPに示されていた代替医療の全体は納得できるものである。

これらはワタシたちの「回復」や「再生」のスキルの幅を広げるものであり、じっとして手をこまねいているよりは関心を持った方が良いと思っている。

 

《薬を使わずに、線維筋痛症を治療し管理するための提言マサチューセッツ総合病院

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その他、生体自己制御、マッサージ療法、はり治療、磁石治療など