これは
「命を守る行動」のあれこれ ~ ホームレスを受入拒否する避難所 1/2
の続きです。
❷ ホームレスを受入拒否する避難所
ワタシ(たち)がまだ冷や冷やしながらも山を越えたと思っていた13日、台東区が、避難所に来た「ホームレス」を追い返したという問題がニュースになっていた。
こういう対応に、法令違反だの人権無視だのという「正義」感で、批判的な記事を書く(ことで商売している)人々は
SNS上に「ひどすぎる」「人権侵害だ」という意見が溢れたという書きぶりをしていたが、ワタシが見た限りそんなことはない。
「ホームレスは税金も払ってないのになぜ災害時だけ避難所に来るのか」「金品が盗まれるかもしれない」「汚らしい」「他の避難者の迷惑だ」「住居を世話されてもすぐホームレスに戻ってしまうのに何のつもりだ」といった主旨の意見も多かったようにみえた。
避難所の行政担当者の対応を是認する人々も相当いて意見は二分されていると思えた。
ちょうど超富裕層が非富裕層とすれ違うことがない「別天地」にいるかのように*1
「ホームレス」とすれ違わない、すれ違うことを忌避する「非ホームレス」意識は、強力なものであると思わざるを得ない。
そもそも社会に「ホームレス」を「助ける」「救う」仕組みなど無いかもしれないのである。
ξ
10/15の首相答弁が典型だが
「避難所は、災害発生後に被災者の生命身体などを保護するために、被災者が一時的に生活を送るために設置されたものであり、各避難所では避難したすべての被災者を適切に受け入れることが望ましい。関係自治体に事実関係を確認し、適切に対応していく」
のように、現在の「ホームレス」をどうするか、どうかできるのかという問題とは全く関係のない
災害時の避難所受入問題に限定して収められようとしている。
社会規範を強制する側からはこういう答えになるだろうと予想がつくし
人権主義者らがいくら騒いでも、行政の最高責任者による、本件、打ち止め!といった隙の無い、これ以上の答弁を求められないだろう。
これで決着がついたのだろうか。
しかしワタシの側からいえば
どう言えばよいのか本当に難しいが、全然違った思いが頭に浮かんでくる。
ξ
ジャーナリスト・作家の辺見庸氏は、山谷(さんや)にずっと通い続けた経験をもとに
街から「ホームレス」を排除するだけの政治・行政を批判するとともに
一方、ボランティアをやっている人たちは、・・・・・自分たちは健常者で彼らはメンタルにも身体的にも障害者であるという区別をしがちではないかと思うんです。助けるべきだと。救うべきだと。
と述べたうえで
最近、彼らとの関わりのなかで、ほんとに人とも言えないような、土のなかから生まれてきたような人間を抱き起す作業をしたことがあるんです。
裸足でしてね、ベルトのかわりに腰に針金巻いて、そりゃひどい臭いです。
まだこの手や胸の中に感触が残っているんですが、そのとき感じたのは、憐憫でも同情でもないんですけどね、ある種のいとおしさなんです。
まったくの負として、そのように生きているといういとおしさですね。
じゃあ、負でない世界にどんな意味があるというのか、私は山谷に行く以前は都心で暮らしていましたが、そこには果たして根腐れはないのか。
この消費資本主義の中で根腐れがないかというと、隠蔽しているだけで、地下茎部はもっとひどいかもしれない。
少なくとも私は、きんきらきんのビルから出てくるスーツ姿の男女にいとおしさを感じたことはありません。
いま、健全に見せかけているものって、すべていかがわしいと思います。
と、社会・都市は一貫して、その構造であるかのように、排除しようのない暗部、負の部分を抱えざるを得なかったのではないか
その一方にいる、ネクタイ・スーツの人々が腐臭を放っていない、とどうして言えるのか
と述べている(2006)。
ξ
ワタシには、「非ホームレス」が、「ああいうふうだけにはなりたくない」と思い生きていくのは何ら構わないと思える。
それは、人が「あのような人になりたい」と模範を見つけていく心性を持つ反面として同時に「ああいうふうだけにはなりたくない」と思うのも自然だからである。
どちらか一方の心性が生じることはあり得ない。
俺の目が黒いうちはアイツの好きにはさせない、俺が生きている限りいつかアイツに仕返しをしてやる、と思って生きることも構わない。
ワタシたちは環境に応じ、固有の心の持ち方をする。
ワタシたちの心身の環境=外的環境が歪んで理不尽であるなら、そのような心のカタチが生まれ、それが自身の生きる意味、モチベーションになって何もおかしくない。
それが社会規範を逸脱して「騒ぎ」にならない限り心の歪みは自然なものとして認められるものである。
こうして、むしろ社会的抑圧によく耐え、心身が鍛えられ、泣き笑いのうちに生き続けることができるのなら、批判しようのない立派な人生だと言える。
ξ
しかし、以上はどこまでいっても平常時の話である。
例えば2005年のニューオーリンズの大洪水のときにもよく言われたのですが、洪水になると警察もいなくなるし、法律もほとんど通用しなくなり、みんな生きることに汲々とするから、強盗が増えたり、人を殺す者や強姦をする者がいたりして、大変なアノミーが出現する。
こんなイメージがまことしやかに語られたりしました。
ですが、ソルニットが調査したところによると、実際にはまったく逆で、災害のときに人は信じられないほどお互いを利他的に助け合って、普通ではありえないようなある種のつながり・・・をつくり出すのですね。・・・
財産や家族を失ったこと自体は、取り返しのつかないことで、それを悲しみ悼む気持ちはもちろんあるのですが、同時に、そのとき経験した友愛のコミューンに人々は、喜びの感覚を覚えているのです。
今回の東日本大震災も同じような状況が出現しています。
もちろんいろいろな問題も起きているけれども、しかし同時に、災害に遭われた方同士が、あるいはそこにいた消防団とか市役所の職員などのプロの救援者も、・・・明らかに災害ユートピア的なものをつくっており、今もできつつあるというような状態になっています。
これはある種の痛みの経験というものが媒介あるいは触媒となってつくられている何かなのですね。(大澤真幸氏/社会学、「痛みの記憶/記憶の痛み」、2013)
これは平常時にはあり得ないだろう非常時の自治の発生の事実を興味深く語っている。
ワタシは1億総ざんげ方式で、責任をあいまいに世間全体に拡げて嘆いてみせる善人のポーズを全く好まない。
今回の事件は、台東区の災害対策本部の判断ミスである。
命に関わる非常時に、行政が事務手続きとして仕切ろうとしたところに間違いがある。
机上で作った危機管理マニュアルにただ従うことで頭を一杯にしてしまえば洗脳と同じように非常時の判断の範囲は(事務に)限定される。
分かりやすく大捜査線・青島(織田裕二)のように言ってしまえば、事件(真実)は会議室じゃない、現場で起きているんだ!ということになる。
災害対策本部が一貫してすべきだったのは、避難所に来ていた、たくさんの人間の顔!を見続け、彼らに語りかけることだった。
ξ
14日に後日談として知人から聞いたのだが、12日の土曜日に、風雨が激しくなってきたので決心して避難所に1人で向かった老婦人がいた。
夫は仕事に出かけてしまっている。
こんな台風の日でも、年老いた夫婦が一緒にいられないのが「先進国」日本である。
しかし、横殴りの雨に立ち往生してしまった。
そのとき同じ避難所に向かう数人のグループに出会った。
その人たちと一緒に老婦人は避難所に向かうことができた。
ワタシはみんな這うように必死に歩いたのかと想像したら、そんなことはなく
身体を支え合って、にぎやかに和気あいあいと進んだというのである。
老婦人にとってこれほど印象的で頼もしい体験は予想外で、ワタシの知人に語らざるを得なかったのかもしれない。
もし老婦人が到着しホッとしている避難所に、ずぶ濡れの「ホームレス」がやってきたらどう言うだろう。
「いいじゃないの、お互いさまなんだから!」
と言えるいとおしさ、自治の発生に、ワタシは賭けたい気がする。