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きょうは音楽のピッチを下げて聴いてみる体験について、です。
音楽における音合わせの基準音、基準周波数はA=440Hzのはずである。
しかし現実には、音が華やかに、とりわけ高音が輝かしく繊細に聴こえる効果を狙ってなのかどうか、次のように一部は高めに設定されているようだ。
歴史的にも変遷しており、18世紀のモーツァルト時代は422Hz当りと今の常識で言えば相当低く、現代になるほど高めになっているようである。
432Hzがどういう意味を持つのかはさておき、フリーの音楽編集ソフト「オーダシティ」(Audacity 、現在はバージョン2.3.3)を用いてピッチ変更できるので試してみた。
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前記の周波数から432Hz(付近)まで下げてみる。
ウィーンフィルであれば444Hz ⇒ 432Hz(約2.7%下げ)
フィルハーモニア管弦楽団であれば440Hz ⇒ 432Hz(約1.8%下げ)
のように設定してみる。
そういえば音楽CD特有のヴァイオリンの高音がキーキー鳴る調整にはずっと苦労してきた。
最近の音楽CDは録音技術の向上があるのかあまり感じないが、CD初期の古いものではなぜか高音強調されたものが多かったように思える。
アンプ側、スピーカー側で多彩に調整可能だが、一番簡単な調整は、分厚いタオル地のような布を前面のコーン部分に被せてしまうことである。
この被せ具合を微妙に変えることによって高音が押さえられ聴きやすくなったり左右のバランスですら微調整できる。
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ワタシにとって今回の調整の動機は、ピッチをさげることによってどのくらい聴きやすくなるかということである。
もちろん原録音と432Hzを続けざまに聴けば、音の低さに妙な違和感がある。反対に432Hzからすぐ原録音に戻っても落ち着かないヘンな感じがする。
ただし次第に慣れる。
しばらくの期間、試してきてどちらが聴きやすかったかといえばワタシは432Hzのほうである。
すくなくとも何か作業中のBGMではこの方が良いように思える。
少し誇張して言えば、原録音はスピーカーが目いっぱい鳴っているような、引きつっているような感じがする。そして高音域側に聴覚が引っ張られているように感じる。
432Hzは穏やかだ。聴覚が中音域側に引っ張られているような気がする。すべての音がバランスよく楽に聴こえてくるように感じる。
ピッチ変更に興味がある方なら、試してみるといろいろなことを感じられるかもしれない。
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しかしその時、ワタシは何を聴いていることになるのだろう。
原録音で聴いて心が妙にザワザワするからといって、ピッチを下げて聴き心地がよいとしても何を聴いていることになるのだろう。
奏者にとって当初のピッチは表現上必須のピッチであり、聴き手の心をザワザワさせることが表現の狙いだったかもしれない。
もし奏者が432Hzを厳格に指定されたら、目指す表現が不可能になったり表現を変更したりするのではとも思える。
アマチュアの聴き手が簡単な操作で多様な音楽エフェクトを付加することができる現在、こういう操作は聴き手側の「遊び」には違いないだろう。
ξ
ところで「432Hz」を検索してみると、実はたくさんの 「精神世界」の話題にぶち当たる。
ワタシは病気になる前の方がこういう「世界」には関心があった。
知る人ぞ知るたま出版の多くの書籍がワタシの書棚には置かれている。
しかしこの種のフィクションは、ドヤ顔をして言いふらすようなものではないと思われる。
世知辛い世の中への慰み、エンターテインメントとして楽しむ程度の「世界」である。
病気になって心はその正反対の方向に傾いた。
現実をひとつひとつ噛みしめるように点検していかないと病気に対処できないと気付いたからだ。
つまり病人は現実に還る。*1
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こういう話と関連するが
「心の持ち方」が良くないから病気になる、「心の持ち方」を変えれば病気が治るといった恫喝・俗説は何度でも否定したくなる。*2
ちょっと調べてみればわかるのだが、この「科学的」背景は、20世紀後半に心身症という疾患名とともに病気のストレス原因説が強調されるようになったことだ。
病気の原因として病原菌や毒物のほかに環境原因説は大昔からあり
高温サウナのような場所に長時間居たり、氷水の中に長時間浸かるといった状況(=ストレス下)に置かれれば、命にもかかわる事態になることは誰にとっても自明だった。
関節リウマチにおいて、特定関節への負荷の持続(=ストレス下)により小炎症が慢性的に繰り返されそれが発症の誘因になることがあるといわれているのも否定しがたい。
つまり外的環境からのストレスは、身体的にも心的にもあり、その結果障害や疾患が生ずることがあるというだけなのに
なぜか心的ストレスだけが独り歩きし(サイコビジネスの作戦か?)、万病の原因は(心的)ストレスであるという俗説が出てきた。
さらに、サイコビジネスは、社会的・環境的要因をすっかり捨象して心的ストレスと「心の持ち方」を直接結び付け
ストレスに負けるのは「心の持ち方」に問題があるから、としてストレス管理術をビジネス素材にしてきた。
さらにまた現在でも、心で病気を治す、環境は変えられないがアナタ自身は変えられるなど、カルト宗教まがいの異常な逸脱が続いている。
いまワタシは、心で病気を治すという「精神世界」にウツツを抜かす場所にはいないので
つまり高邁な意識高い系に属すことのできない低スペックなので
気に入った曲を次々iTunesから432Hz(付近)に変更しては、なるほど、と感心したり面白がったりするところで十分満足している。*3