たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

「私たちは感染しているかもしれない」

これは

日本では新型感染症の死亡率が高いという件

の続きです。

 

 

断片 ❽

 

数週間前、妻が咽喉の痛みが治らないので、近所のクリニックに行った。

市販の風邪薬は試していた。

熱は無く咳も無く息苦しさも無いのでそのまま診察され抗菌薬を数日分処方されて帰ってきた。

回復して咽喉の痛みは無くなった。

 

そのほぼ1週間後、今度はワタシの咽喉の痛みがひどくなった。

寝ても覚めても咽喉がヒリヒリするという症状である。

アセトアミノフェン配合の風邪薬を3日くらい服用したが、症状は横這いで改善しなかった。

そこで妻と同じクリニックに行った。

「熱、咳、息苦しさ、そして味覚異常もありません」

と受付に言って検温後、診察してもらい、やはり抗菌薬を処方されて帰った。

そして日ごとに咽喉の痛みが改善していった。

 

ξ

きっと妻から風邪をうつされたのだろうというところが常識的な判断だが

 

「ワタシら、これで案外コロナ感染しちゃったかもしれないね!」

 

という会話をした。

 

抗菌薬がウイルスに効くわけないだろう、と考えるのは当然だが

「複合汚染」だと勝手に仮定すれば、細菌による症状の改善は抗菌薬が補完し、新型ウイルスはワタシの残りの免疫力で、という合わせ技で回復したと想像することもできる。

 

そして有効期間がどのくらいか知らないが抗体を得てしまったかもしれないと空想することもできる。

 

ワクチンのない新型ウイルスには人類の70%くらいが猛然とあるいは静かに時間をかけて感染していくというのなら、いつ感染してもおかしくないことになる。

感染してしまったのなら、目ん玉剥き出しの形相で、手指を洗い尽くすような強迫もなく

丁寧な手洗いも顔洗いもウガイも、ヤレヤレと思いながら継続できるのではないか。

 

わざわざ「3密」の人混みに出て、人にうつそうという気も無くなる。

長期戦を淡々と覚悟できるようにもなる。*1

 

《4/16追記》

この意識の根源は、どこにあるかといえば、慢性病患者特有の感受性からきているかもしれない。

どこかマジョリティと身体的にも心的にも乖離しているという日常は、自分は感染した病者であるという仮想が平気だし、人混みから離れて引きこもることも平気だし、黙々と栄養を摂ったり薬を服用し続けたり、半年も寝たり起きたりという生活にも慣れている。

だからテレワークや自粛による運動不足で健康上の問題が発生しているなどという、最近の騒がしいニュースは、バッカジャネーカ!というようなものである。

人は、入院して、半年ベッドで寝たり起きたりの生活でも身体的にも心的にも壊れません。

時が過ぎて回復したら、身体は動かそうとすれば徐々に以前のように動くようになるし、もし一時的な健康障害などあったとしても徐々に消滅・解消していくことは明らかです。

もっと自分の身体と心を信用したらどうでしょう。

 

ξ

すでに家を出てしまっている子どもには、当面、実家には帰るなと言ってあった。

若い世代は、無症状・軽症であっても感染力はあるので特にその行動に注意するよう行政も医療専門家も要請し続けていたからだ。

 

ところがワタシと妻が感染しているのなら、正反対になる。

ニュースによれば、武漢では一家全滅という酷い事態があったようだが、さすがに日本でそれは無いにしても一家全感染というのは現実にあった。

それは避けたいと思った。

子どもが家に来たら、子どもにうつしてしまう危険があることになる。

だから当面、子どもと「非接触」になるのは、子どものために望ましい選択になる。

 

ξ

知人との必要な打合わせは、基本、面談してやってきたが、LINEの音声通話でワァーワァーやるように変えた。

それを終えたとき、しゃべりまくったせいかパッと気分が明るくなっているのを感じた。

ワタシたちは、うっすらとした不安や孤独がどうしようもなくやってくるのに耐えている。

そういうとき

① なんであれ目先のやるべきことに集中して、ひとつずつ確実にこなしていこう


② 集まれないのであれば文字であれ音声であれ毎日のように語ってみよう

とするのがよいと思った。*2

 

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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200331/k10012360691000.html

 

ξ

ワタシは、ずっと何をしていたことになるのだろうか。

 

ワタシはすでに感染してしまったかもしれない、と

自分自身に仮想のカミングアウトをして

非常時を、ひたすら平常時に変質させて安心しようとする、特有の心の働き方、心のなだめ方を経験していたようにも思える。

 

その後、3/31に、こんなときは誰でも同じなのだ、と思えるような記事に出会った。

News Up “私たちは感染している” | NHKニュース

 

『実はコロナ陽性なんだけど、ほぼ無症状だから病院から相手にされず、周りにも言えないのでひそかに日常生活を送っている』という脳内設定で過ごしている

 

これだけ感染者が増えれば、自分の近くにも感染者がいてもおかしくないし、症状がなくても、自分が感染していない証もないので、実はコロナ陽性だと思って生活するようにしました

 

また、外出自粛が続くなかで

 

#会いたくなったら電話しよう

 

とイラストとメッセージを発信して注目された人々もいた。

 

これらの、みんな同じ気持ちだった、と思える態勢や表明にワタシたちは安堵するし

今後「ロックダウン」(封鎖のような大規模な移動制限)などの強硬策が、実施されようがされまいが影響されることのない「価値」を感じる。