ξ
ワタシたちは、強力な社会規範*1のもとで暮らしている以上
心身の解放と抑圧の受容の均衡点の「発見」を絶えず繰り返していく。
そして新たな均衡点を求めて解放の幅を拡げていくことが生きることだ! と次第にわかってくる。
それは他者・環境との関係の更新を続けることを意味している。
折り紙で折られた鶴は、その構造、形態を持つ以上、方向を持った力(ベクトル)を内在している。
だから折り鶴を押し広げたのっぺらぼうの、もはや折り鶴でない四角い折り紙を眺めて、人生の選択肢をアーダ、コーダ並べてみても無駄である。
それは占いと同じ「遊び」である。
折り鶴は折り鶴のままで他者・環境との関係をつくっているのだから、その存在の仕方、生き方を考えなくてはならない。
そのとき多くの人は、多様な選択肢があるわけではなく、実際には選択肢が極端に少ないことに気付く。
その極端に少ない選択肢のなかで人は決断していかなければならない。
いくらかの人は、その事態に耐えきれないから、折り鶴を解体してひらべったく拡げ、まるで選択肢がいくらでもあるかのように非現実的な空想や心理主義的な錯覚を繰り返している。
こうして、他者・環境との関係の更新はいつまでもはかれないままになってしまう。
ξ
さて、いままで2/4から4/4までの2か月間に、計13回も、コロナ騒動について、自分なりの解き方をしきりに考えていたことになるが、その後、予想どおりに物ごとは進んでいると言ってよいくらいだ。
その意味ではコロナ騒動はワタシにとって終わりだが、表面化したコロナ情勢はある。
現在、医療崩壊まっしぐらだとか、タワマン価格急落、REIT急落をみて不動産バブル崩壊だとか、ついに世界恐慌という長期の大不況が始まったとか騒がれている。
とくにネットに巣食うジャーナリストの騒ぎぶりは、嬉しそうな阿鼻叫喚といった状況にある。
以前、TVドキュメンタリーで、朝日のような大商業新聞が、なぜ戦争に加担したのかというインタビュー映像を観た。
新聞関係者は、ひとこと、「鬼畜米英」、「一億総火の玉」といった具合に騒いだ方が売れるから、という発言をしていた。
欧米列強がじわじわ東アジアに迫ってくる中で、国民感情はカリカリしていたかもしれない。
そういうとき、戦争だけはやめたほうが良い、と書いても売れないと判断したということだ。
今回も同じだ。
終末的、破局的に時代を煽った方が記事は注目され、その結果、再び執筆・投稿依頼がくるかもしれないという営業上の期待があるに違いない。
政府・自治体がどう言っているかを知るためには、実際には大本営(NHK)だけで十分である。
海外の政府・権力者がどう言っているかも重要だが、海外メディアがどう主張しているかは判断の基準にならない。
ここでも「売れる」記事だけを書く原則が貫かれているはずだからである。
先のことは自分で考えなくてはならない。
ξ
最近、コロナ騒動の空気が変わったと思ったのは
- 自治体による医療体制の格差が表面化した
- 子どもの「居場所」が家庭には無いことが表面化した
- 失業・失職によって生活維持が困難になった人々の存在が表面化した
等からである。
福井県による全県民のマスクのドラッグストアでの購入開始、神奈川県内の大規模仮設病棟建設といったニュースが次々流れ、それ以外の自治体の市民が不安にかられるようになっている。
わが県は、いったいどうしているのか見えない! というように。
決定的だったのは、(たまたまだが)埼玉県で自宅待機を強いられた患者が続けざまに死亡したことだ。
その直後に、国も県も、軽症でもホテル収用型にしてある程度は医師の管理下におくような方針変更を表明せざるを得なかった。
このときまざまざと感じたのは自治体間の医療体制の格差である。
例えばニセコのロッジに隠れて、1週間に1回くらいの買い物ピッチで済むような「コロナ疎開」をしたいと思ったこともあった。
これは夢想に過ぎなかったが、全国各地で他県・他地域からの山・海を求める「コロナ疎開」は、実質封鎖により難しくなっている。
長野の避暑地の自身の別荘に「コロナ疎開」した人々を揶揄・嫌悪するニュースも流れた。
出産のための親もとへの妊婦の帰省ですら嫌がられ地元病院の受入れ拒否事件が発生した。
感染していたらそもそも十分な医療体制が無い田舎では対応できなくなるというもっともらしい理由で。*2
しかしワタシたちの自由(な移動)を制限することなどできない、ということだけははっきりさせておかなければならない。
機関銃で武装した機動隊やら自衛隊やらが、休業要請に応じないパチンコ屋を力づくで封鎖しているような映像を観る近未来が理想なのだろうか。
それは自分の考える「未来社会」にそぐわしいものなのだろうか、と振り返ることはしないのだろうか。
ξ
関東で、どのくらいの患者が病院に入れないのか概算してみる。*3
・県名/現在の患者数(感染者数ーうち退院ーうち死亡)/現在の入院患者数/入院できない・していない患者数
・東京/3,669/2,546/1,123
・神奈川/765/223/542
・埼玉/718/181/537
・千葉/655/224/431
・茨城/127/118/9
・群馬/117/99/18
・栃木/40/36/4
感染者数は、PCR検査陽性者なので都県別の検査数(体制)によって相違するはずだが、ここでは立ち入らないことにする。
都県は患者を入院・宿泊施設・自宅にわけて隔離・治療をすすめるとしてきたが
入院できない・していない患者数は東京がダントツ、神奈川、埼玉、千葉が400~500人規模、茨城、群馬、栃木の患者はその大部分が入院している実態にある。
つまり隔離されず自宅にいるだろう患者は、4都県に著しい数がいることになる。
その内実について、次の記事が補足している。
埼玉県内では21日までに感染が確認された686人のうち、半数以上の349人が病床がひっ迫していることなどから、自宅での待機を余儀なくされています。
24日で1週間になりますが、都によりますと、受け入れ可能な人数が450人程度であるのに対して、23日の時点でホテルに入ったのは99人で、客室にまだ空きがあるということです。
休業「協力金」ばかりでなく、やっぱり東京だな、思うことになる。
話題になった埼玉は数字が示すように厳しいが、東京の宿泊施設などはゆとりがあるかもしれないと思うことになる。
ξ
もうひとつ概算してみる。*4
・県名/現在の患者数(感染者数ーうち退院ーうち死亡)/コロナ対応ベッド数/不足ベッド数
・東京/3,669/2,000/1,669不足
・神奈川/765/1,000/235余裕
・埼玉/718/375/343不足
・千葉/655/324/331不足
・茨城/127/200/73余裕
・群馬/117/174/57余裕
・栃木/40/130/90余裕
コロナ対応ベッド数は、丸められた数字もあり見込み数で確定ではないと思われるが、東京、埼玉、千葉はやはり(コロナ対応の)入院先が圧倒的に不足している。
ワタシは、今後、次第に感染が拡大していくとき、逆「コロナ疎開」があり得るのではないかと思っている。
医療体制格差が露呈してしまえば、他(都)県に、逆「コロナ疎開」することはあり得るのではないか。
これからは医療体制がある場所への密かな静かな移動、逆「コロナ疎開」がすすむかもしれない。
ξ
一方、政府をはじめとする行政組織に感染拡大防止策として何ができるかといえば、最優先は感染者を収容する医療体制整備とその平準化である。
- PCRであれウイルス検査を迅速化して感染者・非感染者をその初期に識別すること。
- 感染者は患者として医療の監視下に置くこと。このため野戦病院であろうが隔離・治療体制をつくること
休業要請に応じた、応じない、その店名発表などにウツツを抜かし、やってる感をばら撒いてどうするのか。
都県民が、おッ! というような検査体制、隔離・治療体制を整備提案すべきではないのか。
2月以降ひたすら
ワタシたちがまるで愚民であるかのように支配者然として
「ここ一、二週間が瀬戸際!」 外出自粛を! ステイホーム!
などという掛け声に隠れた医療無策の内実は、国民みんなにばれているのだから。
*1:
社会規範(社会的抑圧)のうち、例えば風俗については、社会生活一般において男性は辮髪(べんぱつ)や丁髷(ちょんまげ)を選択することはできないし、女性は性的な美を強調する化粧や衣装・アクセサリーを免れない。この表層の社会的抑圧は、男性や女性がいまいましく思うか、ワクワクと喜んで従うかという心情とは無関係に存在する。
*2:
その後、帰省妊婦ではないが在住妊婦全員をPCR検査することに踏み切った自治体がある。
京都市 出産間近の妊婦全員にPCR検査実施へ 新型コロナ | NHKニュース
*3:
「現在の患者数」:厚生労働省(4/24)、「現在の入院患者数」:NHK(4/20)
*4:
「コロナ対応ベッド数」は自治体発表、NHK(4/20)