関節リウマチにも関連するので、このブログにも転載しました。
ξ
入院中、点滴治療のほか毎日のように検査を繰り返したが、検査室(TVドラマふうに言えばラジエーションハウス)受付で、ストレッチャー(移動用ベッド)に載せられ毛布を掛けられた入院高齢者にたくさん出会った。
毛布の端から見える頭は、梳かしようもないパラパラのシラガ、付き添いの看護師が大声で話しかけても鈍く反応するだけなのでもはやバリバリの現役でないことはすぐわかる。
高齢者を地域医療の「お得意様」としてみれば、後期高齢者の窓口自己負担率のアップ(1割➡2割)は望ましくないだろう。
退院精算時の請求明細や診療明細を見れば、保険点数などからワタシの入院に係る病院収入の見当がつく。
それはちょっとした国産車が買えそうな途方もない額だった。
あぁ、こういった(ワタシを含む)多数の高齢ポンコツ患者に濃厚に医療を施して地域の病院経営は成り立っているんだ、と思う。
ξ
官僚や自称「専門家」が、かまびすしく動き出した「全世代型社会保障」など真に受けて聴く気になれない。
財源がショートしている以上、現役世代が満足に優遇されるはずもなく、単に高齢世代の福祉費(中心は年金・医療費)のカットが実現されればよいだけだからである。
現役世代は、すぐ気付くように医療費は健康保険料以外にさらに補填する税金投入分を含め、その負担は持ち出しだ。
ワタシにはかつて一家全員医者にかからない(健保を使わない)年があって、健保組合から「表彰」され、何か景品をもらった記憶がある。
健保を使っても、何年かに一回のギックリ腰(整形外科)や春先の花粉症(内科)程度だった。
だからもしワタシの医療費が10割負担ですむと仮定すれば、ワタシには健康保険はそもそも不要である。
何十年にもわたり月数万円ずつ徴収されてきた保険料(それ以外に事業主側が同額相当負担している)が無く、その分自ら運用し続けることが許されていたなら、頻繁に病院に通い出した現在でも不要と言える。
ξ
しかしながら、若い現役世代が医療を「消費」せず、中高年以上が医療を「消費」するのは当たり前のことだ。
ワタシたちを雇っている事業主は、ライフサイクルからみて最もコストのかからない健康な期間だけ賃労働者として雇っている(いいとこ取り)に過ぎない。
事業主は、みずからの被雇用者のライフサイクルを見通してコスト負担をしていない。
事業主が雇用期間内に「前払費用」のように福祉費を大きく負担する仕組みにしないのなら、公共コスト(税ほか)として負担しなければならない。
これは揉めようもない当たり前のことである。
(もちろん現在でも民間健保は、一部は国保に拠出している)
ξ
ところで、毎年のように進められている①窓口自己負担率、②高額療養費制度の改悪は、今後とも現役・高齢世代を問わず進む。
特に高額療養費制度は適用後であれ、毎月の治療費を捻出できず治療を断念する人々がいる。
身近な関節リウマチで言えば、高額療養費制度が適用されても高額な生物学的製剤を断念する現役世代の患者が後を絶たず、それは関節リウマチ治療の問題点として必ず挙げられている。
ワタシも発病後、生物学的製剤使用に備えて家計支出の大幅見直しを行ってきた。
この膨大な医療費の行方の最終、果たしてどこに行っているのだろう(いずれ調べよう)。
ξ
高額高度治療、高額新薬がどんどん登場する現在(一回数千万円の治療薬が承認される時代だ!)、治療を断念するほど毎月の自己負担額が膨大になれば健康保険制度のメリットは希薄になるだろう。
日本では高水準の医療が平等に享受できるはずだ、という思い込みはすでにフィクションであり、イノチはカネ次第であることは疑いようがない。
そして貧乏な日本人を治療するより、海外のカネモチ相手に先端的な医療(例えば重粒子線のような放射線治療)を惜しげも無く提供したほうが医療産業は安定するとして、資本主義的に再編していくのも当然といえる。
いずれどの外来でも、保険治療であればここまで、自費であればここまでというメニューをレストランのように最初に示される時期が来るだろうと思える。
そしてその外側には、年収250万円以下の国保の滞納件数が8割を超えるという医療にまともに関与できない無保険層が存在する。
アメリカのニュース番組を観ていても
新型コロナの感染者数/率、死亡者数/率とも低所得者層が高所得者層をはるかに上回り、それを人種別にみればヒスパニック、アフリカ系の感染率・死亡率が白人を上回っているというイノチはカネ次第の数値が
その対策がとりたてて話題になることも無く(格差問題、人種問題は解決の決め手がない)報道されていた。
ξ
「全世代型社会保障」などと嘘くさく粉飾された福祉費のカットは、高齢者は我慢の限界まで黙って受け入れるだろう。
高齢者の大部分は、コロナ感染症になってもトランプ前大統領のような最高の医療チームによる最高の治療など、そもそも望んでいない。
また日本の「上級国民」に限定された、医療の逼迫もなにも無関係の特別個室の手厚い治療も期待していない。
そうした高水準の医療を受けられる人々とは生きている世界が違う、とちゃんと自覚している。
この人たちが、最高水準の医療を誰でも平等に享受できるよう要求するとは到底思えない。
ξ
ワタシは買い物カートにヨタヨタしがみついてスーパーに向かっている、老婦人たちを邪険にする気にはまったくなれない。*1
一部の奇矯な奇人を除けば、彼ら彼女らは自分のイノチに悪鬼のような形相で執着することも決してないだろう。
毎日、毎日を無事に暮らすのは案外たいへんなのだ。
もういいかもしれないと毎日思いながら、静かに暮らせたらと思っているだろう。
これは悲しみには違いないが、明るい決心である。