たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年初めに不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつドラッグフリー寛解を目指す。そしてゆっくりとリウマチ治療について考えていきたいと思います。

「Tシャツ売り上げ 最大になる価格は」《箸休めです》

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ξ

昼食のため時々行く中華屋にはいくつか新聞が置いてある。

いつもの置き場所に残っていればたいてい手に取り、注文した定食が届くまで眺めている。

12月5日付朝日新聞(写真)の1面は、「脱・暗記 考える大学入試」との見出しで、2021年開始の共通テスト試行調査問題公表の記事が載っていた。

現行の大学入試センター試験と大きく異なる出題内容には、「思考力・判断力・表現力」を問うことを重視し、日本の教育全体に変革を求めるメッセージが込められているそうである。

 

高校生には評判が悪い。

「今の高校の授業では、この問題は解けない」

「文脈の中から必要な情報を取り出す読解力が必要。数学らしくない」

などと取材に答えている。

 

ξ

朝日新聞が取り上げた数学の問題例は次のようなものだ。

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回答すべき3問に対し、丸々2ページの問題文だ。

夾雑物がたくさんある。

文化祭でのTシャツの販売利益をボランティア団体に寄付するかどうかなんて回答に関係がない。

数学は生活に密着し実務的であるという雰囲気を出したいのだろうか。

こういう夾雑物をより分けて制限時間内にすばやく回答を出すのだから、受験生はたいへんだ。

 

何が要求されているのだろう。

僕には瞬発力にみえる。

瞬発力というコミュニケーション能力(最近やたら強調される社会的能力)にみえる。

会議の席上で、目から鼻に抜けるような受け答えを直ちにしてみせるような瞬発力に思える。

これは本当に「思考力・判断力・表現力」に属する能力だろうか。

優秀な科学者が、とにかく物分かりが悪く、子供の頃はバカ扱いされていたという履歴はよく聞く話だ。

 

ξ

この種の実務的な問題は、会社人間は得意だろう。

会社を本店と営業支店とに分けてみたとき、本店の特定セクションは、こんな問題ばかり計算している。

ただし受験生のように気の毒な時間制限はない。繰り返し検証してみる程度の時間はとることができる。

 

問題(2)は、売上高S(x)が最大になるTシャツの価格xを求めるものだ。

S(x)=x*yについて面倒な計算を経て

S(x)=(-1/10)*(x-1250)^2+156250を導き

(-1/10)*(x-1250)^2≦0なので、X=1250のときS(x)は最大となる

とするのが期待される回答手順だろうか。

 

僕は数学Ⅰ・数学Aの履修範囲を理解していないが

S(x)は、上に凸の極値を持つ2次関数であり

1回微分したS´(x)=0のとき、S(x)は最大になるとして

S´(x)=y+x*y´=0                               

を解き X=1250を得るような簡単な解き方も浮かぶ

マークシートなんだから答えが合ってればいいんでしょう?)

 

問題(3)は、「Tシャツ1枚当たりの「製作費用」が400円の業者に120枚を依頼することにしたとき、利益が最大になるTシャツ1枚の価格を求めよ。」というものである。

これは売上高マイナス売上原価の粗利益を最大にしようとする問題だが、売上原価が定数なので定義域・値域の制限が効いて芸がないなぁと思った。

どうせなら

品質にも問題なかったので一番安かった「製作費用」400円/枚の業者に発注することにした。すべて売切りとし、利益を最大にしようとしたとき、Tシャツ1枚の価格、販売数をそれぞれいくらにするか考えてみよ。

としたほうがフツーに面白かったかなぁと思った。

 

ξ

ところで、大学入試センターによれば、正答率は(3)で6.8%、(4)で3.0%と著しく低かった。

ひとえに時間の無さだと思う。短時間の長文読解に追われて頭がマッシロになっていたかもしれない。

新聞の編集委員は、肝心の思考力を問えているか疑問が残ると言う。

長い資料を読ませて短時間に正答を選ぶ問題は、考える力より単に情報を処理する力(前記の瞬発力のようなもの)を見ているのではないかというのだ。

 

確かに、考え抜いた事業提案のようなケースを振り返ってみると、多数の成功体験や失敗体験、長期の地味なフィージビリティスタディに裏打ちされて初めて陽の目をみるようなものだといえる。大なり小なり必ず投資が伴うからである。

 

ξ

しかし入試において思考力をどう測るかという課題は、大昔から言われ改善が試みられてきたし、何をいまさらという感がある。

何人かずつグループ討議をさせて「思考力・判断力・表現力」の実技を観察し、フィギュア・スケートの技術点、演技構成点のように評定するのがよいのではないか。

と思ってみたところで、大勢の受験生を対象に実施するのはそもそも無理だし、結局ぺーパーテストに依存していくしかないだろう。

こうして今後何十年改善し続けても、受験生、教育関係者、識者など第三者には相変わらず評判が悪いだろう。

 

だから受験生は、当面これが選別の現実なら、ほどほどに瞬発力練習を積んで乗り越えたほうがよいと思う。

こんなものは自分の断片を社会から測定評価されるものに過ぎないとわかっていても、目立たず落ちこぼれずフツーに生きるには(誰もあまりはっきり言わないが)こうした能力は便利だと思える。

 

その後、単一・一様な社会において自己実現とか高度に有用でありたいとか「トップアスリート」を目指すのなら、長い地味な鍛錬と忍耐(「思考力・判断力・表現力」!)の世界に入るしかない。

 

多くのヒトにとって、その道は一つのオプションに過ぎない。

進んでも進まなくとも不満のない世界ではある。

 

しかし、受験生がまだ

その入口のはるか手前の

受験という恵まれたチャンスに練習を怠り

簡単に見切りをつけてしまうとしたら、それは早過ぎる