たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年初めに不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつドラッグフリー寛解を目指す。そしてゆっくりとリウマチ治療について考えていきたいと思います。

スキだらけの人生

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 ξ

僕らはone wayの人生以外選択肢はない。

この取り返しのつかない感じが、生きることの切なさを普遍的に生み出す理由になっていると思う。

他者にもエンターテインメントにも、この同じ切なさを感じて慰藉されることがある。

 

都市近郊農村に育った僕は、殺風景なだだっ広さのなかで遊びほうけ、夕暮れになると、母が夕飯だから家に戻れと呼びに来たときの記憶が鮮明である。

僕や弟は遊び足らなくて、ふくれっ面をしてだらだら戻ることになる。

子供を非常に可愛がるとか、知的な教育を施すとか、そんな立派な母を期待するはずもなかった。

倦むことのない日々こそ子供の予期できる日常であり、母がそんな子供の予期を裏切ることなく、すっぽりと子供の傍らに居たという記憶が、後にかけがえのないものになっていった。

 

子供時代の重要な記憶は、乳幼児のときから人生最初の依存先となる家族(それも母親)であるのがフツーだ。

家族の温和な情愛の記憶が信じられたなら

ノスタルジアとなって予期から外れた現在を慰藉するものになるだろう。

 

逆に温和な家族の記憶がなかったら、その慰藉の不足する欠落感は、当事者の人生にとって克服していく真面目なテーマになっていくだろうと思える。

 

ξ

社会人としてのを比較してみると、僕らのはつくづくスキだらけだったと思う。

 

期末棚卸のような埃っぽい力仕事の動員の日だったのに

おしゃれなミニスカートで来てしまったり

背広・ネクタイで来てしまったり

後日、アフターファイブに集まれば半年くらいは酒のサカナにされ

当事者は真っ赤になったままこらえていて

きちんと仕事の中身を言わないほうも言わないほう、何だか知らずに行ってしまったほうもほう

このスキだらけの感じが、なんとも言えない、ワイワイと仕事をする愉しさ、ヒトに対する愛しさ、ごく若い社会人への慰藉、をもたらしていたのは間違いないと思う。

 

そして金曜に飲んで遅くなれば、男女問わず誰かの部屋に泊まった。

女子には(洗濯してある)パジャマを渡して雑魚寝した。

ナニゴトか事件が起こるわけでもなかった。

土曜の朝遅く、目が覚めた順番に洗面所を使い、誰かがお茶やインスタントコーヒーを淹れていた。

そして昼近く「じゃあね」とか言いながらくたびれた顔でそれぞれの住まいに別れていった。

 

セクハラだのプライバシーだの神経質なことは誰も言わなかった。

なんか雑然とした「アジア的な貧しさ」のニオイとでもいうようなものが、バブル崩壊前の1980年代には空気としてまだ残っていたように思う。

1990~91年を安定成長期から低成長期への区分とする経済学上の考え方がある。

同様に、バブル崩壊の1991年以降を、生活感覚が切り替わった「現代の始まり」と考えてみても当てはまっていそうな感触がある。

 

は、強烈な階層感を伴う「先進国的な貧困」に直面しているようなものだ。

国内総所得を構成する雇用者報酬(賃金・俸給)の推移を見てみる。言うまでもなく20年前よりも減少、おまけに労働分配率が20年前より下がっているのだから、富の偏在が進んでいる。圧倒的に企業所得に向かったカネの一部は役員報酬や経営職層給与の増として還元されている。

もう広く薄い「貧しさ」ではなく、目と目が合うこともなくハズサレテイルという感覚が伴う「貧困」だ。

であれば、どんな状況でも「どうにかなるさ」と言えたものが、、局所では追い詰められれば「どうにでもなれ」というように臨界的だ。

 

ξ

は、家の玄関に固定電話1台しかなかった。

冬のさなか、暖房のない玄関で、頭から毛布をかぶって寒さをしのぎながら、女の子と1時間以上も長電話していた。電話の向こうの彼女も毛布をかぶっていた。

母親は、いい加減に切れ、とも文句を言わなかった。

相手はどんな娘だとも訊かなかった。

バカ息子がサカリがついて、女とイチャイチャするようになったことはわかっていた。

親としてはそのくらい子供のことがわかっていれば十分だったはずだ。

僕らは親にスキだらけだった。

電話1台しかなかったのだからコソコソすることができなかった。

電話を取って「誰ソレさんから電話!」と呼びに来るのは母親だった。

 

は子供は親に知られずどんな付き合いもインフラ上、可能だ。

それどころか子供は、何を考えているのかすら親に知られず過ごすことができる。

家族自体も互いにスキをみせない生き方に収れんしている。

そして、家族の連帯が皆無のおぞましい事態が目に入ろうと

親族・近隣・行政のいずれもが直ちに立ち入るスキをみつけられないままガチンガチンに立ちすくんでいる。

 

依存先をしっかり分散・確保して暮らすことの重要性がいわれる。

それは30年くらい前までのスキだらけの時代だったらある程度容易だったかもしれない。

その頃は、ヒトと社会との線引きにまだ曖昧さが残っていて、親族の介入(クズ親から子供を奪って育てるetc)、近隣の介入、行政の介入が、ソーアルベキという良識としてヒト・社会双方に受け止め可能だったと思う。

のようにスキをみせない生き方を強いられたり慣れてしまったりすると、親族・近隣・行政の介入は鬱陶しく困惑させられるものになる。

だから逆に、子供や高齢者がSOSを出していても、それは無理、行政の仕事でしょ!とかわされ振られてしまう。

 

私のことは私が決める、あなたに関係ない、私に関係ない、個人の自由だ、思想信条で罪は問えない、自己責任だ、プライバシー侵害だ、不法侵入だ、養育権がある、令状持って来い、日本は法治国家だ、と孤立を擁護するいろんな理屈が動員される。

 

通信・流通インフラの高度な整備がヒトの孤立を可能にしただけなのに

最近のように大規模自然災害でインフラが壊れてしまえばヒトの孤立など維持できずスキだらけになってしまうのに

機械部品のような乾いた孤立を意味ありげにもちあげるファンタジーが、ポストモダンを気取ってばらまかれるのは虚しく思える。

病者・障害者・子供のような弱者は、うっとうしい、もうあっちに行けというほどの家族・親族・近隣・友人の「介入」を、いくらかでもイメージできたとき、温和に自分を慰藉できるようになる。

そしてこの体験が反対に相互扶助を意識する、返さなきゃ!と意識する大切な契機にもなっていく。