たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年初めに不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治!を目指しています。

神も悪魔もいない世界の理不尽をあしらう手始め

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 ジグソーパズルを仕上げるように

 

距離感の大切さを思う。

日常と、書くこととの距離感だ。

書こうとした時、心は過去として語れるように、とずっと思ってきた。

日常と距離を置こうとしたためだ。

 

時系列の過去にそれほどの意味はない。

序列は記憶の中にある。

 

机の上で記憶の脈絡(時系列ではない)を付けようと、ピースを何度も並べ替えたりしている。

その内部では、嵐のように氷のように記憶が浮沈しているとしても

ピースを挟む指先の、緩やかな速度は変えようがない。

 

記憶と、その答えを探す速度は全く違っている。

過去のアナタと、いま振り返るアナタは別人だ。

こんなことがわかるまでにたくさんの時間がかかった。

 

その内部がどうであれ

指先に触れるピースの穏やかさ。

そんな穏やかな文体を持ってみたい。

 

 

人は、体験の「非意味」に、ほとんど耐えられない

 

「心的外傷」の回復過程は日常を生きる参考になる。

戦場からの帰還兵や、性暴力の被害にあった女性たちは、その深刻な経験の記憶について、しばしば真っ白な世界である、と語ると言う。*1

 

それは恐怖なのか憤怒なのか悲哀なのか絶望なのか言葉にならない感情なのか無感情なのか判然としないが

意味を与えられない「非意味」な混沌とした体験は、絶えず意味を求めて傷となったまま引きずられていく。

この傷口は、「どうして自分はあんな目に遭ったのか」「なぜ?、どうして?」と、意味のある文脈を求めて、繰り返し当事者を追い詰めていく。

 

人は、体験の「非意味」に、ほとんど耐えられない。

そんな「非意味」の記憶など途絶えてしまえばよいのに

途絶えさせることができない苦悶としてフラッシュバックする。

 

このような状態が「心的外傷」であり、その外傷を緩和していくためには、それはすでに過去のことであり現在の出来事ではないという文脈を描いて納得していく必要があるといわれる。

このため体験や被害を理解していくプロセスを専門知に頼ったり

そのような体験や被害を共有した自助グループで語ってみたり逆に語りを聴いたりするプロセスが、外傷を緩和していくと考えられている。

 

ξ

ところで、病的とまでは言えなくても「心的外傷」に類似した感情を抱えたまま、辛うじて社会生活を送り、傍目にはとりたてて異常が感じられない日常を過ごしている人が相当数いると思われる。

その「外傷」の元は1つや2つではないことが多いし、特定できないことすらある。

 

あわただしく仕事のさなかにいるときは本人も異常を感じないが、ふと息を抜く時間が訪れたとき

すべてが上の空になるような妙な感情にとらわれることがある。

傍目には、呆然としているようにみえるし声をかけるのもはばかれるような状態になる。

夢をみているように見えることがある。

見かけは穏やかだし、仕事はちゃんとしているし、ちょっと変わった人、くらいの印象ですんでいるかもしれない。

 

しかし内面は、毎日の理由もなくつらい感じが消えることがない。

 

  • 他者やその言動を心底楽しめない不寛容・距離感
  • ふとした知覚で浮かんでくるうっとうしい情動
  • なにか特定しがたい生きづらさの自覚

 

人の脳神経にはキャパシティがあり、安らぐことのないオーバーヒート状態が継続しているのだから、心身の疲労感は消えない。

(その慢性的な疲労感が抑うつとして出てくれば、自分や世の中がバラ色に見えるわけがない。でもバラ色に見えなければ気がすまない人々の焦燥はなぜ? バラ色衝動はなぜ?)

 

本人はこれらをやっつけたい!としきりに思っているが

未解決のまま、冴えない鬱屈した気分のまま数十年も過ごしてしまうことがある。

 

たいていの人は、性格・個性としてやり過ごせる散発的な心的動揺から、治療を要する心的障害(パニック、異常行動、激しい疼痛などがある)までの長いスパンのどこかに置かれている。

しかも恐ろしいことに同じ場所にとどまることなく揺れている。

こうして「正常」と「異常」の遷移地帯、境界線上にいる人々は少なくないと思われる。

 

 

神も悪魔もいない世界の理不尽に

 

「心的外傷」に類似していたり前駆的であるような「異常」であっても「トラウマ語り」は回復の文脈を突き止めるために必要かもしれない。

それが見苦しい「不幸自慢」や「痛いもの競争」のレースにならないためには条件がいると思う。

それはたぶん、ただ一点

いざ生きめやも!(生きてやれ!)

と思えたときだけだろう。

 

身近な他者の死がどれほどの衝撃を与えるかはあらかじめ決められない。

それは、ワタシの感受性によるし、当事者との親密度によるし、その後のワタシの人生の送り方にもよる。

 

はるか昔の事務所、他部署から電話があった。

他部署に勤務していたワタシの同僚と連絡が取れない、ワタシとは親しかったはず、事情を知らないかとの趣旨だった。

ワタシは知らない、とにかく彼の家に行ってみる、と電話を切った。

部屋には垂直にぶら下がっている同僚がいた。

降ろそう、早く降ろそう、と言っても止められた。

検死する警察より先にワタシは着いてしまったのだ。

 

日本でも世界でも、死体の山を見るようなむごたらしい事件や戦闘や災害はいくらでも起こっている。そのニュースを見る。

そのとき、垂直からやっと水平にゴロンと置かれた同僚の身体が、いつもかぶってくる。

 

本当はすべてに原因はある。

同僚の死だって、親族でないという理由でワタシに詳細を知らせなかっただけかもしれない。

 

自分と外部環境に起こるすべての理不尽には原因がある。

真っ白な「非意味」や吐き気に気おされて意味を放棄してみることはしない。

18世紀ヨーロッパじゃあるまいし全ては神による予定調和などと誰が信じよう。

文脈を思ってみる方がずっと幸せだ。

それは成功したり失敗したりもするだろう。何も問題はない。

 

(Bさん、27歳、男性)

研究会でのBさんの発表テーマは、「父親との関係」「病気のこと」などであり、自分をずっと支配していた「宇宙の真理を探せ」という強迫は、「愛され、かわいがられなかったことの代わり」だったと分析するようになった。

暴力的だった父親については「家族を養うために働いてきた一人の男性」であるとみなすようになった。

 

 (Aさん、26歳、女性)

学校に行かなかったのも、自分が悪いと思っていたんですけど、(中略)それを治して適応するよりも、どういう社会だったら自分が生きていけるか探すほうが、私には楽。

生きているって実感がある。

私けっこう、人生ずっと考えてばっかりで。

しんどかったりつらかったりするけど、それも含めて生きるということだし。

単純に許容範囲が広がったのかな。

許せるようになった。自分のことを。

それは大きいかなって気がしますね。*2

 

世界に起こる理不尽の意味を、自身から外部の見え方として語ればBさんのようになる。

理不尽の意味を、自身から内部の見え方として語ればAさんのようになる。

こういう気付きを読んでいると、ワタシは生きていた喜びを感じる。

それは神も悪魔もいない世界の理不尽に

情緒ではなく、人間と自然だけの論理で届こうとしているからである。

 

 

*1:

J.L.ハーマン「心的外傷と回復」、みすず書房、1996

*2: 

yusakum.hatenablog.com