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映画「男はつらいよ」が1969年に第1作が公開されてから来年で50年、そこで「50周年プロジェクト」なるものが実施されている。
渥美清の過去映像を用いながら50作目も製作されるそうだ。
また最近、BS民放で再放送(たぶん全49作、1969~1997)され始めている。
ここ2、3年、「寅さん」のテレビ放映をよく観るようになった。
リハビリ兼ねて、初めて帝釈天まで出かけたりした。映画撮影時代と異なりすっかり整備された江戸川土手も散歩してみた。
今回、久々に第1作を観ると、とにかく「寅さん」、口上滑らか、早口で元気がよい。後期の病気がちで動かなくなった「寅さん」とは全く違う。
第1作を観るのも3度目、4度目となると、これが名シーンだというところに気が付くようになる。
つくづく、いいなぁと思ったのは、「寅さん」が御前様の「お嬢さん」(光本幸子)とほろ酔い機嫌で飲み屋から戻ってくるシーンだ。
和服の光本幸子が、後ろ姿で「指も触れずに / 別れたぜ」と演歌を口ずさむところがたいへんいい。
そろそろ年も年だし、あきらめて結婚話に乗るかというように世間の重さをほろ酔い気分で軽く受け止めようとする後ろ姿がとてもいい。
一方「寅さん」は、あこがれの「お嬢さん」の気晴らしデートに舞い上がり、「お嬢さん」の口ずさんだ演歌を引き継いで、帝釈天の夜中の参道商店街をスキップするように歌いまくる。
つまり例によってバカ丸出しということになる。
ここが第1作の名シーンだとワタシだけが思ったわけでもなく、すでに動画がアップされていた。何度観ても楽しい。
男はつらいよ名場面 第1作 こ〜ろ〜し〜たいほ〜ど〜♪ - YouTube
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これは何という演歌だろうと思って調べたら、「喧嘩辰」(北島三郎、1964)という歌である。
恋とゆう奴ぁどえらい奴だ
俺を手玉にとりやがる
惚れてなるかと力んじゃみたが
泣かぬつもりを泣かされて
たまらなくなる俺なのさ
・・・・・
殺したいほど惚れてはいたが
指もふれずにわかれたぜ
なにわ節だと笑っておくれ
ケチな情けに生きるより
俺は仁義をだいて死ぬ
(「寅さん」は一部歌詞を変えて歌っている)
恋した相手は決して惚れてはならない相手、別れる以外に道はない。
組の親分の大切なお嬢さんだったり
渡世人とは別世界を生きる堅気の娘さんだったり
(映画「喧嘩辰」(1964)では親分の惚れた芸妓らしい)
その途絶した、途絶させられた恋の
理不尽に捻りつぶされたココロ*1は
男の意気地とか、なにわ節とか、仁義とかの世界で救済されようと切に願っている。
全くままにならない日常を、男女の「別れ」に擬しているのだが
理不尽に捻じ曲げられた私(し)のココロは、世間の公(こう)的な大義や正義で解放されたいと願う。
この大義や正義は私の損なわれたココロを救済できるほど立派であるに越したことはない。
脱私のココロは、昔であれば、「進め一億火の玉」「聖戦」「八紘一宇」「欲しがりません勝つまでは」「鬼畜米英」「現人神」といった、古代からの呪術的支配の残渣である大義、正義のファンタジーに吸収され得たかもしれないが
現在では時代錯誤のマイノリティの一団を除けば、アホクサ、ナンヤソレと誰もがハナから相手にしないだろう。
「男はつらいよ」第1作(1969)の時代ですら、ヤクザ的な男の意気地とか、なにわ節とか、仁義とかの脱私の価値は、もはやほろ酔い気分の鼻歌でしか再現されていない。
ξ
人が、高度にココロを膨らませることができた古代から
必ず失敗する、必敗のものとして私のココロを持ち
その挫折を、誰もが外部のファンタジーに託して解放、慰藉されようとし*2
そこそこ成功することもあれば失敗することもあるというように時間が過ぎていくこと
が、生きること だとすれば
1960年台の昔から現在まで、脱私のココロはどのように変わってきたのだろう
という新たな興味も湧いてくる。
(続)