たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

「身体」と「心」について読むと、 (4)

「幸福」感の薄くなった結婚制度のゆくえ

 

戦後の20世紀、結婚や自由恋愛の考え方は、どのように変わってきたのでしょう。

 

戦後から1960年代

戦後民主主義が普及していくなかで、「見合い」結婚を否定し「恋愛」結婚に憧れる流れに大きく変わっていきました。

当然、恋愛成就の姿として「結婚願望」は男女とも非常に大きかったと言われます。

 

その現実的背景は女性の社会進出の拡大と考えられます。

1960年代の、次のような高度成長期のエピソードは、家(=親)や男性に従属する結婚のあり方を決定的に変更させる経過を浮き彫りにしています。

 

戦後、古い家庭の秩序が崩れることによって、家庭の中での老人の居場所が失われ、同時に、おとなのための暮しのかたちも崩壊しました。

一般に、親は子どもに経験を誇れないばかりか、むしろ子どもが持ち帰る新しい知識とか、新しい趣味にたじろがざるを得ない立場に置かれました。

わけても、六〇年代になると、産業界の技術革新がますます人間の成熟をむずかしくしました。

技術が革新されることによって、新しい職業が生まれ、それまでの職業のヒエラルキーが崩れていきました。

長年実直に町工場で勤めた父親が、ひとりの娘を育て、それが大会社の受付嬢になった途端、娘の初任給のほうが父親の給料より高かったというような、笑えない悲喜劇もあちこちでみられたのです。*1

山崎正和「ヤング・オア・ヤング・アット・ハート?」、『おんりい・いえすたでい’60s』所収、文藝春秋、1977)

 

1970年代後半から1980年代

若年人口が急に減らない限り結婚も急には減りませんが、日本資本主義が飽和していく1970年代後半~1980年代には、「自由恋愛」への憧れが目立つようになり、また離婚・不倫も増えました。

生きるための経済的条件であった結婚制度に束縛される度合いが薄れたからです。*2

 

結婚するにしてもどこか功利的で醒めた感覚、まあ、こういう選択でもいいか!と言うサバサバとした現実感が広まっていったのは、この1970年代後半~1980年代の頃です。

この頃、自由恋愛の挫折や結婚とのあいだで揺れてしまう感傷を歌った流行歌(やTVドラマ)はやたら多かったように思い出します。

(例えば今、歌詞ごとバサッと頭に思い浮かぶのは『駅』、『プラスティック・ラブ』(竹内まりあ)などのシティポップ。またTVドラマで言えば、1980年代半ばの、数年にわたる『金妻』シリーズ*3は、当時だれでもその題名くらいは知っている大人気「不倫」ドラマだったようです。)

 

 

ξ

ところで結婚制度の質的転換の兆候が公に示されたのは1980年代です。

1986年に、総務庁(当時)は『現代青年の生活と価値観』という報告をまとめました。

 

このうち19歳から28歳までの青年層のなかで、買い物をする際、好んでブランドものや人と違ったものを選ぶ若者がいることに注目して、彼らを「ヤッピー型」*4と分類しています。

 

しかし日本の彼らは、生活程度からみると上に多く「地位や名誉」を得たいと思っているものの、友人たちと親密な関係も保っており、こうした特性をみても、エリートになりたいが孤立はしたくないという、一般的な若者像が浮かび上がってくるとしています。

 

興味深いのは、「ヤッピー型」の若者は、「“愛情のなくなった夫婦の離婚” “結婚を前提としないセックス” “同棲” “未婚の母”といった現代的な考えに<共感できる>とする者が多いが、その一方で“家柄やつりあいを考える結婚”に<共感できる>とする者が多いという傾向」の指摘である。

(「湾岸ヤッピー・カルチャー」)

 

このように結婚制度は否定されないものの、“家柄やつりあい” が<共感>されるようになり、結婚は恋愛の成就から分離されて構わないとも考えられるようになりました。

 

さらに全世代において、非婚化・単身化(配偶者との別居・離婚・死別)が大幅に増えている2020年代からみれば

少なくとも都市部において、この30年の ❶ 不安定な雇用、❷ 将来を見通せない所得、❸ 狭隘な住宅環境などが、明らかに結婚・再婚しない「一人で暮す生き方」なるものを強いてきたと、外形的に言うことは誰にもできるでしょう。

しかし、結婚制度自体に、もはや「幸福」感を見出せなくなってしまったという内在的な感触の方が第一義にあるように思えます。

 

ξ

先に引用したような自由恋愛を肯定しながら “家柄やつりあいを考える結婚” という1980年代の若者の一種古風な選択について、『都市という廃墟』の著者は次のように考察しています。

 

1980年代に)東京で単身世帯が三世帯に一の割合まで達した現在、いわば自由な恋愛への理解は積極的な価値を持ち得なくなった。

むしろ、そのような価値観は男女関係を解放へと導くものではなく、現実の状況をそのまま肯定しているに過ぎない。

“結婚を前提としないセックス” や “同棲” が肯定される時、当然ながら結婚も意味を失っていく。

“家柄やつりあいを考える結婚” への共感とは、結婚の根拠が曖昧になったからこそ生じた価値観だろう。

(「湾岸ヤッピー・カルチャー」)

 

この著者の考察を少し言い換えてみます。

結婚制度が社会を覆う規範として重圧を持って存在していた時代、“結婚を前提としないセックス” や “不倫” や “同棲” は非常に魅力的であり、個人を解放するものとして大いに意味があった。

しかし1980年代のように単身化が進むと、“結婚を前提としないセックス” や “不倫” や “同棲” は、もはや個人を解放する理念としてはありふれたものになってしまった。

こうして「不幸」の温床だった結婚からの解放である自由恋愛(の実践)は、次第にその「幸福」感、解放感が希薄になって価値を失い、また対抗的に存在していた結婚の「不幸」感も同時に希薄化してしまった。

 

したがってパートナーと結婚して家族を形成することに、とりたてて過剰な「幸福」感も無ければ過剰な「不幸」感も無くなってしまった。

したがって街や職場や学校で、「運命のひと」との出会いをワクワク期待することも無くなり、神様の祝福によって子宝に恵まれることを祈る必要も無くなってしまった。

それらは婚活や妊活なるものの対象として、知的・合理的にコントロールされるべきものとなった。

こうして、“家柄やつりあいを考える結婚” への<共感>は、現実に何ら抵抗されることなく日常意識にのぼるようになった。

 

ξ

現在でも、当事者(ワタシの子供らの世代)たちは決して結婚を否定しているわけではないし

永く一緒に暮してみることのしみじみとした「幸福」感や、幼い子どもたちとワイワイガヤガヤ泣き笑いのうちに時を過ごしていく「幸福」感を決して否定しているわけではないのです。

 

しかし明らかに、結婚制度に参加していく倫理観や切実さは消え、それぞれ結婚するもよし、しないのもよし、というところまで結婚制度は解体してしまいました。

 

なぜかといえば、日本であれ世界であれ現在、人間の自然性の発現とその循環を、播種・豊穣・収穫・成熟・結婚・誕生として農耕祭祀に織り交ぜて、古来、美しい型や「見なし」を発見し祝福し続けてきた共同体の歴史から(個人が)遥かに遠ざかってしまったから、と言うのが一番正解に近いように考えています。*5

 

 

*1:

yusakumf.hatenablog.com

*2:

yusakumf.hatenablog.com

*3:

金曜日の妻たちへ - Wikipedia

核家族間の交流とそこに起きる不倫を題材にしており、『不倫ドラマ』として『金妻(キンツマ)』の略称でも広く知られ、「放送日の金曜日夜10時には、主婦が電話に出ない」とまでいわれるほど大ヒットした。」

*4:

ヤッピーとはヤング・アーバン・プロフェッショナル、つまり都会派の若い知的職業人を意味し、1980年代のアメリカ、特にニューヨークに登場した一群の青年たちを指す。彼らは「大都市圏に住み、年齢は25歳から45歳まで。名声、社会的地位、権力、威信、富を勝ち取ることをめざす上昇志向の強い男女エリートたち、既婚、未婚は問わない」人々とも定義された。松山巌「湾岸ヤッピー・カルチャー」、『都市という廃墟』所収、ちくま文庫、1993)

*5:

yusakumf.hatenablog.com