たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

自分を責めずに無意識にまかせる

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ξ 

関節リウマチと診断されて1年を超えましたが、治療方法について書籍を購入したり、無理をして医療講演会に出かけたり、もちろんネット上で調べたり検討を続けました。

 

リウマチ初心者を一番苦しめるのは、病気になった原因は何だろうとあれこれ思い悩むときです。

鑑別を続けるなかで、重篤感染症や悪性腫瘍が次々消されていき、関節リウマチの可能性が高まると、原因は何だろうと考えることを強いられます。

遺伝は? 過労は? 重いストレスは? いや、やっぱり関節に病原菌が入り込んで炎症を起こしているのでは?

遺伝要因のほか喫煙だの歯周病だのいわれても、ピンとこない患者の方が圧倒的ではないでしょうか。

そうすると、だいたいの患者は過労や過剰なストレスは思い当るものですから、そう、あの頃は確かに大変だった、と振り返ることになります。

そして、そういう境遇は生きるために容易には変えられるものではなく、むしろ自分の性格のせい、誤った価値観のせい、と自分を責めるようになります。

長い時間をかけて培われた自分の人間性に基づく行動が、関節リウマチの原因、少なくとも遠因と考えるようになります。

 

ξ 

しかし、自分を責めても関節リウマチの治療法にはなりませんから、考えても仕方がないのではないでしょうか。

まだ僕が若い頃、怪我をした時、もう治らなくてよいと思っていたことがありました。

しかし、そんな心の落ち込みにもかかわらず、毎日少しずつ少しずつ確実に治っていくのが自覚できました。

これは大変な驚きでした。

最初は自分の意思にかかわらず何故、傷は治っていくのだろうと不思議に思ったのです。

そのとき人間の無意識は、傷ついたものを元に戻すようプログラムされているのだと考えました。

薄っぺらな表層の意識など何のおかまいもなく無意識は、元に戻すという方向性を強靭・強固に持っていると信じられました。

これは若い僕にとって感動的な体験であり、とにかく無意識は生きようとしているのだからそれに逆らわずに生きていこうと、深い落ち込みから這い出したのです。

 

ξ  

僕の無意識は、関節リウマチを治そうと何の疑いもなく進めていると思います。

身体は、高熱や疼痛でまともに動けなくなりますから活動量は著しく低下して安静状態になります。

これは無意識のシグナルと考えて、まずは逆らわずに安静にするようにします。

 

ξ 

突然、人生を深く反省してみたりすることは無意識から特に要求されていないと考えています。

そんな薄っぺらな間に合わせの急ごしらえの俄か仕立ての表層の意識変化が、どうして強靭・強固な無意識を動かしたりするでしょうか。*1

とにかく「じたばたしない」というのが治療法の旅の出発点でした。