たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

鬱屈をためるより絶望しよう

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ξ 

4月の病院で、同じ診察室から呼ばれるのを待っているらしい僕より高齢のご婦人と会話しました。

手指が変形していたのでベテランのリウマチ患者と思われました。

それが小さなものであれ大きなものであれ、あまりに多くの絶望を繰り返してきたので、絶望という単語が自分の人生から消えてしまったように、何の気負いもない静かな語り口で、もう関節リウマチとは別世界の人生を歩んでいるかのように見えました。

 

あぁ、いいひとだなぁと思い、僕より先に診察室に立っていくときも、廊下ですれ違ったときも会釈をかわしたりしたのでした。

 

ξ 

4月にプレドニゾロンは切ったものの、この連休後半のメトトレキサートの日は、悪天候と重なったせいかもしれませんがひどく不調でした。

いつも以上にだるく生あくびばかり続いて、テレビですら集中が難しい状態でした。

「だるいんです」「生あくびばかり出るんです」「家事もできないんです」といっても防止薬もないので放置するしかないでしょう。

 

ξ 

本当は、こうした独特の倦怠感が、

  • 薬剤の副作用に起因する症状なのか
  • そもそも関節リウマチの関節外症状なのか
  • それとも別の疾患を併発しているのか
  • あるいは療養中の慢性的な焦燥・不安などに起因する精神症状なのか

よくわからないところがあります。

真面目な医師ほど、関節リウマチが良くなってみないとわからない、薬を中止してみないとわからないというように、時間をかけて除外していかないと結論を出せないでしょう。

僕の場合は、メトトレキサートの日を過ぎると徐々に好転するので薬剤がもっとも関係するだろうとは思っています。

 

ξ 

結局のところ、まずは火元の関節炎を抑える治療からはじめるほかありません。

全身があちこち痛くなって動きづらくなるのも、炎症性物質が血流に乗って他の関節や筋肉で反応を起こし免疫細胞などを活発化させてしまうためでしょうから、それをおかしいともいえません。

 

軽度ロコモ症候群というほかないぎこちなさと、いつもどこか痛んでいる全身の不調を抱えて、気が付かないうちにリウマチ初心者は、医師に言っても仕方がない、解決しようのない鬱屈を繰り返し蓄積してしまいます。

こうして虚空に言葉を放つことが、癒しなし答えなし「絶望ラジオ」化していくことは当然あります。

 

ξ 

鬱屈をためたままではいずれ心身が破たんするので、絶望による情動の開放は大切です。

絶望にとっぷり浸かる気力・体力があるうちは大丈夫、そう簡単に心身は破たんしません。

しかし、そうした情動に長期に過剰に浸かる癖(悲劇のヒロイズム)がついてしまうと身体は危険を察知します。

そこで絶望を忘却する、絶望に疲れる、絶望に飽きる、気が付かなかった小さな希望を感じやすくする、といった感受性の変化をもたらします。

バランスを取る反作用として起きます。

 

結局、絶望は100%リアルな生活に関してですから、ハッと気づくように日々の日常に関心が戻るようになります。

絶望や希望に過剰に揺れた情動は、リアルな日常を淡々と見つめる場所に戻るほかないはずです。

このとき考えても仕方のないことは考えないといった諦観が伴うことがあります。

 

  • 絶望することなく希望に目を向けて生きる??
  • 繰り返し訪れる絶望を押し殺して生きる??

何だか病気が慢性化、悪化しそうです。

絶望も希望も、手を変え品を変え訪れるものと観念するしかないように思います。

 

いつか絶望も希望も意識のほんの小さな揺れに過ぎなくなり、関節リウマチとは別世界の人生を歩めるようになるかもしれません。

 

(写真は internet radio The Jazz Groove)