たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年初めに不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつドラッグフリー寛解を目指す。そしてゆっくりとリウマチ治療について考えていきたいと思います。

「寛解以後」の世界に、どう対処していくのか

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「関節リウマチの主観的症状と医師と患者さんのコミュニケーションに関する調査結果」(https://www.lilly.co.jp/_Assets/pdf/pressrelease/2017/17-62_co.jp.pdf

ξ

11月の膠原病内科の血液検査の炎症マーカー(WBCCRP、ESR、MMP-3など)は、虚血性大腸炎の発症からかなりあとだったこともあってか異常はなかった。

こうしてメトトレキサートの休薬はちょうど6か月になった。

処方は相変わらず頓服用NSAIDと湿布である。

全身のぎこちなさや動作時のあちこちの関節や筋肉の痛みは別にして、手指の関節の感覚が発病前に近いくらいに戻ってきた。

ごく最近まで、左人差指や右小指の関節の、押しても厚いグローブの上から触っているような、炎症痛である圧痛が消えても感覚がほとんど無い、といった症状が続いていたのだった。

これが他の指並みの感覚に近づいてきた。

 

これを小さな指標としてみれば、悪くはなっていない、ゆっくり回復しているのではないかという感触は持つことができる。

 

ξ

標準的治療を選択しているリウマチ患者は、妊活や強い副作用で積極的治療を中断している人を除けば

メトトレキサートや生物学的製剤などのリウマチ薬を用いて高い疾患活動性を治療している人と

医師から「寛解」と言われて、その状態の維持のための投薬を続けていたり減薬・休薬に取り組んでいる人とに、二分される。

僕は後者に属する。

だから、「寛解」の維持や減薬・休薬には強い関心がある。

 

ところで最近、奇妙な調査結果を目にした。(上の写真)

こういうアンケート結果をみると、患者たちは、いったいどういう治療に遭遇しているのだろうかと思ってしまう。

医師から「寛解」と言われている患者の4人に1人が、自分の関節リウマチの状態を「寛解」だと思わないと回答、医師と患者が思う「寛解」には差異があるというのである。

 

こんなことはあり得ないと思える。

寛解」かどうか判断するのは医師である。患者は判断しない。

関節リウマチの寛解基準には、臨床的寛解、機能的寛解、構造的寛解があると患者は知らされており、どれを採用するにしろすべてその基準の点数(スコア)化が可能である。

したがって医師と患者は寛解判断について齟齬はありえない。

そもそも、医師から「寛解」と言われている患者に対し、「あなたは、ご自身の関節リウマチの状態は「寛解」だと思いますか。」という設問自体が無意味で不適切である。

医師と患者は寛解判断について齟齬はありえず、また患者は自分で「寛解」かどうか判断しないのだから設問自体が成り立たないのである。

なぜこんな設問があるのだろう。医師が判断を誤るような「でくの坊」であるかどうか、患者に試させるために質問しているのだろうか。

 

このような設問を作るなら、「あなたは医師から臨床的寛解、機能的寛解、構造的寛解のどのレベルで寛解と言われていますか。その点数(スコア)はいくつでしたか。」

という設問が必要である。

次に

寛解言われているのに痛みがありますか。」

寛解言われているのに疲れやすく、倦怠感がありますか。」

寛解言われているのにこわばりがあり、よく眠れなかったりしますか。」

と運んでいけば

全身性疾患である関節リウマチが、寛解基準とされるものに達したからといって、別に持続的な身体愁訴が消えるわけではないという(このアンケート結果も示唆する)重要な課題に行きつくことができるだろうに、と思う。

 

ξ

このように僕がリキんでみたところで現実は違う、という思いが頭に浮かんでこないこともない。*1

①医師が、よく知られている寛解基準(ACR/EULARなど)に無頓着で、血液検査結果の推移しか関心がなく、基準値内であれば「寛解」と言う。

②患者は、「寛解」と言われても薬は変わらないし身体愁訴も変わらないし「治癒」感がない。だから医師の「寛解」と患者の「寛解」の二通りがあると勘違いしている。

 

①のような医師のもとにいるなら、慢性病は、長い付き合いができる医師が必要なのだから躊躇なく転院すべきだと思う。

このような医師は変化の著しい経口薬処方すらついていけないだろう。現時点で使用可能な生物学的製剤の数すら知らないかもしれない。

 

②は、関節リウマチの標準的治療のいう「寛解」について理解して医師と対話したほうが良いのでは?としか言いようがない。

そもそも新薬の開発は、寛解率30%を達成すれば成立するというので、製薬業界にとって「寛解」の定義は非常に重要だろう。

しかし、だからこそ患者の全身的な自覚症状に十分合わせた定義、患者が常日頃まじめに味わってみるべき定義ともいえないのである。

 

ξ

臨床的寛解のうちSDAIやCDAIでは腫脹関節数や圧痛関節数はせいぜい1~2程度以下、もっとも厳しいBoole方式ではそれぞれ1以下でないと寛解基準に達しない。

この基準達成もたいへん厳しいものだが、理屈でいえば、リウマチ由来の腫脹関節数も圧痛関節数も1個はあってよいということになる。

このため言うまでもなく治癒とはいえない。

だから即、休薬はできないと考えられている。

これは本当だろうか。エビデンスが無いから試さない、語らないというだけではないか。

 

患者にとって「寛解」が治療の通過点、基準点として意味があるとすれば、そこから先をどうするのか、薬なしにしたらどうなるのだろうかといった、謎解きのような局面になるからである。

製薬メーカーが例えば寛解率30%を目指して新薬を開発したとしても、「寛解」した後どうするのか、というよりどうやって休薬していくのか研究しているとは到底思えない。

製薬メーカーと利害関係などない(はずの)医学者らが研究するしかないのである。

 

リウマチ医は、薬の飲み方、生物学的製剤の注射の仕方、リマチルでだめならリウマトレックス(MTX)、エンブレルがだめならアクテムラというような話は意欲的だが、どうやって減薬・休薬するの?となると、突然トーンダウンする。

 

僕ら患者は、「寛解」近辺にいる場合、比較的縁の薄い外科療法を除いても

基礎療法*2薬物療法リハビリテーションの治療3本柱があることを知っている。

将来的にDMARDsでもサイトカイン・T細胞阻害薬でもない根治療法といえる薬剤が開発されればリウマチ治療の地図が変わるかもしれない。

 

いまは薬物療法を減じれば、自動的に基礎療法、リハビリテーションが重要度を増すような世界にいる。

しかし、それはいまだ体系(①どういう患者に、②何を(温泉療法? ビタミンC? コラーゲン? マインドフルネス?)、③どの程度)がさっぱり見えない世界だ。

だから患者は、薬物と外科手術のスキルこそ我がミッションと信じ込んでいるリウマチ医よりはるかに広い領域に、目を向け続けることになる。

 

メトトレキサートや生物学的製剤の成果には違いないであろう「寛解」近辺にいる患者は

まだ道筋のはっきりしない先の見えない寛解」以後の実験台に乗せられている。

僕らは、そのための様々な試みもデータの蓄積も、必要なら治験も拒まない。

 

*1:

 

yusakum.hatenablog.com

 

*2:全身の安静、局所の安静、精神の安静、適度の運動、保温、栄養、睡眠などに関すること