たかがリウマチ、じたばたしない。

2015年に不明熱で入院、急性発症型の関節リウマチと診断された中高年男子。リハビリの強度を上げつつ、ドラッグフリー寛解≒実質完治を目指しています。

年末年始二題 ~ ゴーン被告の海外逃亡について、思う  

➊ 札幌エスタについて、思う

 

大掃除のような年末特有の雑務が終わって、ようやく自分の時間ができ、ごく薄い習俗・規範になってしまった年賀状を書こうかと思うのは暮れの30日、31日になる。

疲れやすいから「一日一事」の生活をしているので大掃除も12月初めからスタートするようにしてきた。

おまけにメトトレキサートの日を、ダラダラできる週末にしているので余計に掃除の能率が落ちる。

担当医にやたらだるいと副作用を訴えたところで「薬が効いている証拠!」と言われるだけだから、もうこの種の会話は担当医としない。

 

結局今年も、大きな家でもないのに年末の清掃業務は1ヵ月がかりでコツコツとやった。

それは大晦日から子供や兄弟が来るからという理由が大きいが、そんな行事でもないと大掃除などしないから、我が家にとって丁度いいかもしれない。

 

ξ

妻はその頃から、最後の買い出しと正月料理に入る。

引っ越して以降、正月の買い出しに何年も失敗して、ワタシたちはどこの刺身や肉がいいのか大体わかってきた。

 

結局、1駅先の駅ビルにある食料品店街に落ち着いた。

ワタシはこの食料品店街を歩くのが好きである。

小綺麗で取り澄ましたデパ地下なんかとまるで違って、いつもどこか懐かしい伸びやかで庶民的な賑やかさがある。

 

それはワタシも妻も同時に感じたのだが、札幌駅エスタ地下の食料品店街によく似た雰囲気なのだ。

昔、予定のない会社帰りに立ち寄って、ちょっとした総菜やケーキを買って帰った。

身欠きにしんを煮ている香ばしいニオイをいまでも覚えている。

ときにはワンカップを買って乗り込んだ列車のなかで同僚と飲んだ。

自然とそうなったのは列車を待つ(当時の)JRの冬のホームがひたすら寒いからである。東京の通勤電車では考えられないことである。

 

札幌そごうが閉店し、JRタワーができたあたりから懐かしいエスタ食料品店街が、どのように様変わりしたのかまったく知らない。

いまは記憶の中にある、あるいはワタシの家の近所にある

ということになる。

 

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❷ ゴーン被告の海外逃亡について、思う

 

そういう年末年始のスキを狙ったかのように、ゴーン被告が海外逃亡した、というニュースが飛び込んできた。

そしてレバノン到着後すぐ12月31日に声明を発表した。

 

もはや私は有罪が前提とされ、差別がまん延し、基本的な人権が無視されている不正な日本の司法制度の人質ではなくなります。
日本の司法制度は、国際法や条約のもとで守らなくてはいけない法的な義務を目に余るほど無視しています。
私は正義から逃げたわけではありません。
不公正と政治的迫害から逃れたのです。
いま私はようやくメディアと自由にコミュニケーションできるようになりました。
来週から始めるのを楽しみにしています。

【声明全文】ゴーン被告「私はレバノンにいる」渡航禁止も出国 | NHKニュース

 

そして年明け8日に記者会見するとして

 

ゴーン元会長が会見で、出国の経緯や方法などについてどのように説明するのか、注目され、批判してきた日本の司法制度への言及も含め世界中の関心が集まることになります。

ゴーン被告 8日にベイルートで会見か | NHKニュース

 

と報道されている。

 

いまのところ断片的な情報の羅列に過ぎない報道なので、経過も今後起こる事態もはっきりしない段階で考えていることになるが

ワタシの庶民的常識からみて、「出国の経緯や方法など」については語られないだろう。

レバノンが、ゴーン被告は何ら問題なく合法的に入国したと発表しており国家レベルでの協力があったことは明らかだが、数多くの協力者・組織が国際的に一切罪を問われることのない「安全」が約束されない以上、現時点、詳細を明らかにできるとは考えにくいからだ。

経由地となったトルコでは、パイロットら7人が拘束されゴーン被告逃亡へのかかわりを捜査されているという報道もあるので、なおさら出国経緯が具体的に語られるとは考えにくい。

 

一方、「批判してきた日本の司法制度への言及」はあるだろう。

ゴーン被告の声明文は、まるで中国や北朝鮮から命からがら逃げだしたかのように世界に対し訴えている。

ヨーロッパからみれば、東アジア辺境の、すぐそばにある非民主的な中国や北朝鮮と同じような得体のしれない政治的「後進国」の迫害を逃れて脱出した英雄のようにみえる可能性はあるかもしれない。

ワタシはヨーロッパ世論が、日本の政治制度に対して、ゴーン被告が言うようなことはあり得ないと断固否定するほど「高級」だとは思えない。

 

たしかに背景として、日本の司法は行政府の一機関に堕しているのではないかという批判は、国内からも海外からもずっとあったし

日本の三権分立は欧米近代から移入したカタチだけ

実態は「後進国」特有の、独裁政権、傀儡政権であるかのような非民主的な国家であり

自分はこういうアジア辺境の劣等国の国策によって非民主的に裁かれようとしている、というような趣旨を世界に訴えるだろうとは想像がつく。

 

フランス政府幹部も、もしゴーン被告がフランスに来たら、(国籍があるのだから)日本に引き渡すようなことはしない、と発言しており

今後、自分の非合法な行動を、差別、人権無視、不公正、政治的迫害、国際法からはずれた得体の知れない国といったキーワードで合理化しようとするゴーン被告の作り出すフィクションと

それを否定しなければならない日本の政治制度というフィクションとの闘いになると思える。

だから、これは司法手続き、税関手続きの問題などと冗談を言って眼をそらしているわけにはいかない外交問題になっていて

日本の行政府のトップが、ゴーン被告の「楽しみ」とやらを打ち砕く、どのようなフィクションを世界にぶつけて闘うのか、直近のワタシの強い関心と「楽しみ」になっている。

 

 

※ 追記です ※

 

 世界のベストセラー『サピエンス全史』 の著者ハラリは

人類の巨大なフィクションとして、貨幣、資本主義、国家、神のようなものを挙げている。

ハラリは、フィクションを創り上げる能力こそホモサピエンスの際立った特徴なのだと言っている。

そんな巨大なものでなくとも、あたり一面に、前向きに生きてみよう、不安や苦労を厭わず行動してみよう、この社会に人種差別・性差別はあってはならない、おカネだけが人生じゃない、あなたは今のままでいい、などというフィクションがばら撒かれている。

なぜ人はそれほどフィクションをばら撒くのだろう。あるいはなぜフィクション無しに生きられないのだろう。

 

もちろん、あなたは今のままでいい、と言われれば、冗談じゃねぇ、吹きっつぁらしの風のなか、身構えなきゃ、すぐさま吹き飛ばされてしまうだろうに、というフィクションが直ちに対置される。

こうして無数のフィクションとフィクションが常にぶつかり合ってワタシたちは疲弊してしまう。

 

だからフィクションなんて剥ぎ取って剥ぎ取りまくって残るものは何か、考えることが今もっとも大切なのだ

と言ってみても、これも新たなフィクションなのだ。

 

しかし原則主義的に自分を追い詰めないほうがいい。

フィクションを自然に創り上げてしまう、フィクション無しに生きられない習性は

ワタシたちの先験的なものとして取り合えず棚上げにし

偽装かも知れない社会規範、社会正義、世間智というフィクションを徹底的に洗った方が良いように思われる。

 

ワタシたちの生涯のうちに、貨幣、資本主義、国家といったフィクションを解消することはまず不可能だが

夾雑物というほかないソコラヘンの不要・無駄なフィクションは片づけていくことはできるかもしれない。

不要・無駄なフィクションは、たいてい耳当たりが良く、心地よい響きで、誘惑的に近づいてくる。

 

ワタシの心は、現実には、身体と同じように、なだめられそうに見えるときもあるし、とてもなだめられないときもある。

ワタシの心は、なだめられるときもあれば、なだめられないときもあるという現実こそ「真実」であるようにみえる。

 

心は、決してその穏やかさ、風のない湖面のような静謐を目指すためにあるわけではなく、人間が使うようにできているのは明らかである。

ワタシは今年も心の可動域を拡げてみる、というフィクションにこだわってみたいと思います。*1