これは
の続きです。
断片 ❶
3月25日夜、東京都知事が深刻なオーバーシュート(爆発的患者急増)懸念を表明して
① 平日についてはできるだけ仕事は自宅で行う(難しいです←ワタシ)
② 夜間の外出は控える(飲み会など一切計画されていません←ワタシ)
③ 週末は急ぎでない外出は控える(よくわかってます←ワタシ)
という要請をした。
東京都が「外出自粛要請」 繁華街の飲食店で集団感染の疑いも | NHKニュース
断片 ❷
さて大本営広報部の次の記事。
ドイツ 感染者2万人超で死者86人 大規模検査で早めに対応か | NHKニュース
ドイツでは新型コロナウイルスの感染者が2万人を超えました。
一方、死者は86人と、5000人以上が亡くなっているイタリアなどに比べて大幅に少なく、地元メディアなどは、大規模な検査によって感染者への対応が早めにできていることなどが要因ではないかと指摘しています。
ドイツの国立ロベルト・コッホ研究所は23日、国内の感染者が合わせて2万2672人と、2万人を超えたことを明らかにしました。
一方で、亡くなった人は86人と、イタリアの5476人、スペインの2182人、フランスの674人と比べて、際立って死者数が少なくなっています。明確な理由は分かっていませんが、ドイツでは新型コロナウイルスの感染を調べる検査が、週に16万件と、大規模に行われていることから、地元メディアなどは、感染者を早めに確認して、対応できているためではないかと指摘しています。
またドイツには、もともと集中治療に対応したベッドがイタリアのおよそ5倍にあたる2万8000床あり、医療体制が整っていたことも要因だと指摘されています。
研究所によりますと、感染者の年齢の中央値は45歳で、8割が60歳未満だということです。
ロタール・ウィーラー所長は「ドイツは流行の初期段階にあり、今後、死者数が増加する可能性もある」として、引き続き、人どうしの接触を減らすなど感染の拡大防止に努めるよう呼びかけています。
この記事で言う感染者への早めの対応とは、移動(行動)制限・隔離・治療のはずである。
当初、日本でも重症化させないため早めの受診を、と強調している医療専門家はいたし
早めに検査して移動(行動)制限・隔離・治療により重症化させない、感染源にさせないことこそ対策の基本だとワタシも思っていた。*1
診断を確定させるために嫌ッツーほど検査漬けになってきた慢性病者からみれば、当たり前の診療手順である。
しかし次第に
●設備や人員の制約のためすべての人にウイルス検査はできない
●重症者の発生と死亡を減らすことを基本とし、陽性であっても軽症・無症状であれば自宅療養を
●入院を要する重症であっても回復してきたら退院させ自宅安静に
という流れがはっきりし出した。(専門家会議の各提言)
つまり日本では
① 伝統的なPCR検査に依存しているので誰でも検査できる体制はもともとない
② 感染症外来も病床も足らないので重症者しか診療したり入院させることはできない
ということだ。*2
断片 ❸
ドイツ、イタリア、日本の感染状況を3月23日現在で列挙してみる。
● 国 / 感染者数 / 死亡者数 / 死亡率
● ドイツ / 22,672人 / 86人 / 0.38%
● イタリア / 59,138人 / 5,476人 / 9.3%
● 日本 / 1,102人 / 41人 / 3.7%
同じ疾病で世界の地域においてこれほど死亡率に差があるのなら、地域の何らかの特殊な事情や統計上の差異、誤りを考えなくてはならない。
イタリアは、各報道のとおり「医療崩壊」を考えなくてはならない。
では、まだ「医療崩壊」していないと思われる日本とドイツとで10倍も死亡率に差があるのはなぜか。
誰もが前掲記事からわかるように検査数の差とみるだろう。
そして日本に比較して明らかに感染症対策の規模が大きいドイツの医療体制(患者を病院に来させない、病院から追い出すことをとりあえず考える必要が無い)を見ることになるだろう。
《3/30追記》
特定の期間、特定の疾患の患者数に対する死亡者数の割合は「致死率」が正しい用語とのことである。「死亡率」は、特定の期間、特定の疾患などの死亡者数の総人口に対する割合を指す。たとえば肺炎死亡者の日本総人口における割合は死因別「死亡率」という。
ただし実態(ネット上の)は、「致死率」も「死亡率」もはっきり区別されておらず、誤解の余地もないと思ったので「死亡率」のままにしておきます。
断片 ❹
個人がどう「自衛」しようが必ず漏れ(=個人に帰せないリスク)がある。
漏れ(=個人に帰せないリスク)の意味は次のようなものである。
専門家会議で例示しているさっぽろ雪まつりでの集団感染の始まりは2月上旬であり、もし中止していたら大幅に感染スピードが抑制されていたに違いない。
しかし北海道(札幌市)は中止しなかった。
それどころか日本中がこうした国際的イベントの中止を思いつかなかった。
「3密」以前の、水際対策の不徹底を、① サプライチェーンだの、② インバウンドだの、③ 習近平国賓来日だの動かしがたい政治・経済的事情を挙げて日本中が正当化した。
こうして東京、愛知、大阪のような大都市圏ではなく広い北海道で感染拡大が先行するというまさかの事態になった。
これは感染拡大の責任を、「自衛」する個人に帰すことが絶対にできない次元の異なる大リスクである。
ワタシたちは、ロックダウンのような強硬策が話題になるほどの感染拡大が、いつの間にか理由も無く降って湧いたわけではない、と知っている。
そして政治権力のスピード感が信用できないから、さっさと個人で可能な「自衛」策を実行してきた。
断片 ❺
もちろん神奈川県によるあらたな検査方法導入の取組みなどもあり、リスクの種類や度合いはどんどん変わっていくだろう。
“時間短縮” 新たなウイルス検査方法 25日から導入 神奈川県 | NHKニュース
では今どうするかと言われれば
相変わらず、過労や栄養不良を防ぐと同時に、「3密」とよばれる
① 換気の悪い密閉空間
② 多くの人が密集
③ 近距離での会話や発生
を避ける行動で、可能な限り「自衛」し続けるしかない。
「3密」の定量的基準はなんだ、といったところで、専門家会議の
「(北海道の)緊急事態宣言、大規模イベントの自粛要請等のうち、どのような対策やどのような行動変容が最も効果を上げたかについては定かではない」
「全国的な大規模イベント等の自粛の成果については、その効果だけを取り出した「まん延防止」に対する定量的な効果測定をできる状況にはない」
という言い方しかない。
つまりケースバイケースであって、現時点で基準を作ってみたところで無駄、ハズレルということである。
さいたま新都心のスーパーアリーナで開かれたK-1だって、「3密」に該当するからといって必ず感染するとは言えない。
安全側に傾いた自粛の行き過ぎはあるし、反対の極にはコロナパーティのような反抗もある。
アンドロイドや行進する軍隊のように、人の行動が直ちに、整然と統一されるべきだと考えるほうがおかしい。
過剰もあれば過少もあるという揺動のなかで感染防止策が切りあがっていく。
断片 ❻
中国の武漢ほかの封鎖を絶賛するWHOの姿勢は、非民主的な中国の政治制度を前提とする以外ありえない政治的な表明である。*3
また中国や旧ソ連(ロシア)の一党独裁に郷愁をもつ日本の旧世代のサディズムとマゾヒズムの混淆以外に、ロックダウンなどを声高に称揚する心性などありえない。
まして「要請」を「強制」に読み替えて、同胞・他者に行動制限を強要するような心性は、情勢負けした被支配層特有の奴隷根性に過ぎない。
断片 ❼
ワタシ自身の正直な考えを言えば、「要請」でほとんどの国民を動かせた以上、日本はよくやってきたと思っている。
動画に見るイタリアなどの状況と異なり、大勢に逆らわない傾向の国民性のせいかもしれない。
ワタシたちには生活が破たんしない範囲で自粛「要請」を受け止め、「自衛」策を創意工夫しながら日々過ごすことを繰り返していく以外にないはずである。
むしろこれから大事なのは、「要請」なのに「強制」と読み替える政治権力を許さないことと
「要請」なのに「強制」に読み替えて同胞・他者の足を引っ張る被支配層の、けたたましい奴隷根性を許さないことだと思える。
*1:
*2:
《4/11追記》ウイルス検査は極力しない(抑制する)方針を明らかにした保健所の例
さいたま市保健所、「病床不足で」ウイルス検査の件数抑制 新型コロナ:時事ドットコム
*3:
《4/11追記》アメリカがWHOの中国への政治的な加担を批判した記事
「WHOは公衆衛生より政治を優先」米国務省が検証の考え | NHKニュース